父親が死んだ②

当ページのリンクに広告が含まれている場合があります。

以前のブログに書いたとおり、10月30日に父親が死んだ。今回はその後の話。

11月2日。地元の警察署に遺体を引き取りに行った。

署の受付で用件を伝えると2階の刑事課に案内され、父親が死亡した経緯の説明を受けるために取調室のような場所に入れられた。

パイプ椅子に座りながら、私は「逮捕された人は、ここで取り調べを受けるのかな」などと、いらんことを考えていた。

刑事さんからは、近隣住民が父を発見し通報してくれたこと、救急が到着した時点で死亡していたこと、髄液に濁りはなく死因は虚血性心疾患と推定されることなどの説明を受けた。

亡くなる前日の夕方には、父は訪ねてきた近隣住民に窓越しで応対していたそうだ。父の声に元気がなかったため、近隣住民が翌朝も様子を見に行ったところ応答がなく、倒れているのが見つかったという経緯らしい。

死後、時間を置かずに発見してもらえたのは、不幸中の幸いである。

署では貴重品の返却も受けた。現金1万6千円、財布、通帳2枚、車のカギ。

「スマホは?」と聞くと、刑事さんは「見当たらなかったんですよ」と言っていた。

財布の中を見ると1枚のレシートが入っていた。

死ぬ3週間ほど前の買い物。ドラッグストアで「ガリガリくん」を買っていた。

ガリガリくんを食べたかったのか。

いざ死なれると、そんなことさえなぜだか切ない。

警察での一連の手続きが終わり、署の裏手にある別棟に案内された。

そこに父の遺体は安置されていた。

若い警察官が顔にかけられていた布を取った。

髪は白髪でボサボサ。それまで見たことがないほど伸びた無精ひげ。

パカーーーっと開いた口からはボロボロになった歯がのぞいていた。

私は泣くつもりで、ジャケットの内ポケットにハンカチとティッシュを入れていたのに、涙が引っ込んでしまった。

正直なところ、まさに「好きになれなかった父親」がそこには横たわっていたのだった。自分の面倒さえ自分で見ることのできない父に、私は何度も苛立ったものだ。

しかし父と私の名誉のためにいうが、父が死んだとの知らせを受けた後、私は自宅で一人泣いたのだ。切なさや後悔が押し寄せ、床に突っ伏しておいおい泣いた。

それなのに、遺体を前にしたら泣けなかった。

死に様は生き様だ、という言葉が思い出された。

人は生きたようにしか死ねないのだ。

実の父親の遺体を前にしてもそんなことを思ってしまう自分に、後になって自己嫌悪が湧いてくることも分かっていたから、とても憂鬱になった。

その場で用意された線香をあげ、葬儀社の方々の手によって葬儀場へと遺体は運ばれていった。

私もすぐ自分の車で葬儀場へと向かった。

葬儀はやらずに、1日安置して、翌日火葬をする流れとなっていた。

せまい一室にでも安置されるものかと思っていたが、父の遺体はメインホールのような立派な場所に安置されていた。

おそらくほかに葬儀の予定がなかったため、葬儀場側の厚意でそのメインホールを使ってくれたのだと思う。

私は9年前に自分の一眼レフで撮った父の写真をプリントして持参し、写真立てに入れて棺の前に置いた。

9年もさかのぼらないと写真がないのだから、親不孝といえば親不孝だ。

あらためて棺に収まった父の顔を見た。かなり痩せて、頬がコケていた。

実は気づかぬうちに大腸がんが再発していたのかもしれないな、などと思ったりもした。

やはり、ここでも泣けなかった。泣きたいのに、泣いてやりたいのに、涙の一粒も出てこない。

翌日、火葬場に向かう前に棺に入れてあげられるように、カーネーションを20本発注して、私は葬儀場を後にした。

翌日、葬儀場には父の兄や姪、甥などが駆け付け、最後の別れをした。線香をあげ、カーネーションを1人1本ずつ棺に入れた。会場にはオルゴール調の「ハナミズキ」がかかっていた。

父が花粉症だったことを忘れ、顔の近くにカーネーションを置いてしまったが、今さらハクションなどということもなかった。少し花を胸元にずらし、棺を閉じた。

火葬場に到着して、まさに最後の別れとなった時、実は私には心残りがあった。

棺に手紙を入れたかったのに、手紙を書く時間が意外となかったのだ。そのためにポケットには便箋も用意していたのに。

火葬直前に「やっぱりちょっと待って」と言って、急いで便箋に「ありがとう。最後会えなくてごめん」とだけ書いて棺に入れた。

実際のところは、私の自己満足で、灰となるだけの代物だ。でも、入れられてよかった。

火葬代は5000円。安い分には助かるのだが、人の最後にしてはあっけない値段だ。

収骨場では、箸を使って骨を拾った。

人生で初めての骨拾い。

上あごの骨だったと思うが、職員の人から「こんなにちゃんと形が残るのは珍しいです」と言われた。

反応に困る骨トークを合間に挟みつつ、父は骨壺に収められていった。

受け取った骨壺は、まだ温かかった。

父の骨は、葬儀場が運営している合同墓に収められた。

立派な墓でも建ててあげるのが親孝行と考える人もいるだろうけど、一人っ子で独身の私が墓を守っていくというのも正直言って荷が重い。

何より、合同墓の周辺は穏やかで、なんだかとても安らぐ風景だった。

それで十分だと思った。

骨壺を合同墓に収め、皆で線香をあげた。

ふと周囲を見渡すと、もうあたりは日が暮れようとしていた。

夕方の秋風は少し冷たかった。

ザザザザザザー。音を鳴らして周囲のススキが揺れていた。線香の煙も風にゆらゆらと揺らされながら宙へと上っていき、そして見えなくなった。

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

この記事を書いた人

八王子でトイプードルと暮らしています。日常の思い出をつづります。

コメント

コメントする

目次