お母さんはここ数年、寝る前にTikTokを見るのを楽しみの一つにしていた。
TikTok Liteというアプリで視聴するとポイントがたまり、そのポイントをPayPayなどに換金することもできるので、「視聴×ポイ活」を楽しんでいた。
お母さんが亡くなった直後、お母さんのTikTokアカウントには結構なポイントがたまっていたような記憶だったのに、さっき久しぶりにお母さんのスマホを開いたら、それほどでもなかった。
私の記憶違い?それほど有効期限が切れてポイントが失効した?
どうでもいいといえば、どうでもいいことなのだが、妙に気になる……。
アプリ内を確認してみても、ポイントの失効履歴を確認できるページはなかった(過去にはあったようにも思われるが、少なくとも今日現在においてはそのページへの導線は確認できなかった)
こういう時、お母さんがいれば「あれ、お母さん。お母さんのポイントって最初からこんなもんだったっけ」と一言で確認ができるのである。
しかし、いない。
長々と書いたが、TikTokの話はあくまでも一つの例である。
日常を生きていると「あれ、お母さん、あれってこうだっけ」「これってああだっけ」とささいなことを聞きたくて仕方がない。
でも聞くことができない。話すことができない。
思いついた言葉を口から出すことなく、飲み込むばかりの毎日。
「この炭酸水、どこで買ったっけ」。別にどうでもいいことだけど、聞きたいっちゃ聞きたい。
「最近よく行く定食屋がうまい」。別にどうでもいいことだけど、話したいっちゃ話したい。
でも、聞くことも話すこともできなくて、ただ言葉を飲み込む。
言葉はこんなにも無味無臭なのか。
言葉は人に届いてこそ、温度を持つのだと知る。
無音の夜に、ふとテレビをつけてみる。
フフッ、と笑う。
でも面白かったテレビを共有することもできない。
虚しい。
つまんないことを話す相手がいないってつまんない。
ああ、つまんない。
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