私の祖母は83歳。
6月ごろに介護施設から病院に移り、今は常に鼻から酸素を吸入しているらしい。私が会った4月には、支えられながらも自分の足で歩いていたが、今では車いすとオムツになった。
心不全のような症状もあるというから、正直もう長くないかもしれないと感じている。
祖母は50代後半だった時に、くも膜下出血で生死のさかいを彷徨った。その祖母が奇跡の生還を果たし、80代まで生きたのだから「もう十分だ」という気もしてしまう。決して、死を願っているわけではないから、誤解はしてほしくないけれど。
祖母は10年ちょっと前に認知症になった。今では10秒前の会話さえ覚えていないだろう。だから、自分の娘(私の母)が亡くなったことも知らない。
何も知らず、歩くこともできず、回復の見込みがないなかで、弱りながらも生きている。それはそれで辛いものがあるのだ。
◇
子どものころ、祖母とよく私の実家近くの田んぼ道を散歩した。
田んぼ横の給水栓から噴き出す水を見たり、田んぼの中にカエルの卵を見つけたり、秋にはトンボを捕まえたり。
祖母はよく「歩こう、歩こう、私は元気~♪」と口ずさんでいた。
草花や鳥も好きだった。
私が「あの鳥は何か」と聞くと「シジュウカラだな」などと答えた。
林の中の木に、キツツキを見つけたこともあった。本当にコンコンと木をつついていて、子ども心に感動した覚えがある。
だから、今でも里山の風景を好む私の感性は、祖母から受け継いだものなのかもしれない。
◇
少なくとも、もう二度と祖母とあの田んぼ道を散歩をする日は来ない。
ついつい懐古に浸ってしまう。随分と月日がたったものだ。
犬を連れて散歩に出たら、水辺を飛び交う赤とんぼがいた。
ふわりふわりと飛び、草花に止まる。
「この花は何?」
思えば、そんな会話をすることももうないのだ。
私のかつての日常の風景が、二度と手に入らないものに変わっていく。
どんどんどんどん急速に壊れていく世界で、私は一人取り残されて、懐古してばかりいる。
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