おばあちゃん

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私の祖母は83歳。

6月ごろに介護施設から病院に移り、今は常に鼻から酸素を吸入しているらしい。私が会った4月には、支えられながらも自分の足で歩いていたが、今では車いすとオムツになった。

心不全のような症状もあるというから、正直もう長くないかもしれないと感じている。

祖母は50代後半だった時に、くも膜下出血で生死のさかいを彷徨った。その祖母が奇跡の生還を果たし、80代まで生きたのだから「もう十分だ」という気もしてしまう。決して、死を願っているわけではないから、誤解はしてほしくないけれど。

祖母は10年ちょっと前に認知症になった。今では10秒前の会話さえ覚えていないだろう。だから、自分の娘(私の母)が亡くなったことも知らない。

何も知らず、歩くこともできず、回復の見込みがないなかで、弱りながらも生きている。それはそれで辛いものがあるのだ。

子どものころ、祖母とよく私の実家近くの田んぼ道を散歩した。

田んぼ横の給水栓から噴き出す水を見たり、田んぼの中にカエルの卵を見つけたり、秋にはトンボを捕まえたり。

祖母はよく「歩こう、歩こう、私は元気~♪」と口ずさんでいた。

草花や鳥も好きだった。

私が「あの鳥は何か」と聞くと「シジュウカラだな」などと答えた。

林の中の木に、キツツキを見つけたこともあった。本当にコンコンと木をつついていて、子ども心に感動した覚えがある。

だから、今でも里山の風景を好む私の感性は、祖母から受け継いだものなのかもしれない。

少なくとも、もう二度と祖母とあの田んぼ道を散歩をする日は来ない。

ついつい懐古に浸ってしまう。随分と月日がたったものだ。

犬を連れて散歩に出たら、水辺を飛び交う赤とんぼがいた。

ふわりふわりと飛び、草花に止まる。

「この花は何?」

思えば、そんな会話をすることももうないのだ。

私のかつての日常の風景が、二度と手に入らないものに変わっていく。

どんどんどんどん急速に壊れていく世界で、私は一人取り残されて、懐古してばかりいる。

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この記事を書いた人

トイプードルと暮らしています。日常の思い出をつづります。

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