去年、父親が突然亡くなった時もそれなりに心身がすり減った。「もっとこうしてあげればよかった」と自分を責め、食欲は失せ、夜は眠れなくなった。父とは疎遠になっていたこともあり、取り返しのつかない後悔に苛まれた。その時は、人生で一番悲しい出来事だと思った。
でも、今年の夏にお母さんが突然亡くなった時の衝撃は、その比ではなかった。父の死の悲しみなど吹き飛んでしまった。あまりに突然の受け入れられない現実に、たった2週間で7キロも体重が減った。
自他ともに認めるマザコンである私が、30代前半にしてお母さんを失ってしまったのだ。無理もなかろうと思う。だから2025年は、私の人生で最もつらく悲しい一年となった。
とはいえ、お母さんの死から約5カ月がたった今、それなりに落ち着きを取り戻してはいる。これも切ないことだが、人は少しずつ立ち直ってしまう。
悲しみが癒えることはないのだが、苦しみは少し和らぐのだと知った。「楽に悲しめるようになってきた」とでも表現するのが、しっくりくるだろうか。人の世は、流れる涙さえ儚い。
◇
これまでも書いたが、私は独身で一人っ子である。
お母さんを失った後の苦しみを一人で抱え、一人で乗り越えてしまった。役所や保険の手続きも、誰も頼れなかったから自分だけでやった。
本当は誰かと思いを共有したかったし、手続きも一緒に進めたかった。「兄弟がいたら違っただろうか」。そんなことを思い、架空の兄や弟を脳内に浮かべながら、虚空を見つめる日々だった。
親戚はいるのだが、言葉を選ばずに言えば、ごく一部を除いて何の頼りにも支えにもならなかった。ある時LINEを送ったら、スタンプ1個だけを返してきた人間もいた。たぶん、あのスタンプを一生忘れないと思う。薄情だと思った。
兄弟もいない。妻も子もいない。親戚も頼れない。
だから私は「お母さんを失う」という人生最大の苦しみを、一人で乗り越えるしかなかった。
そして、この経験は、私の今後の生き方を決定づけるものだったように思えてならない。
人生最大の苦難に、伴走してくれる者がいなかった人生。この時ほど、私は他者にすがりたかった時間はないのに、誰もいなかった。そんな私がこの先、誰と何を共有したらいいというのだろう。
◇
もちろん、そういう“伴走者”がいないのは、私自身のせいでもある。寄り添ってくれる友人や知人、配偶者を得る努力を怠ってきた、いわば自分の人生の通信簿だ。
一方で、長い付き合いがありながら、薄情な態度で返してきた連中を恨む自分もいる。
いずれにせよ、もはや私は孤独に生きて、孤独に死んでいくしかない。
この先、何か出会いを得ても、そこに価値は見いだせないのだ。人生最大の苦難を一人で乗り越えてしまった私が、今後他者を必要とすることはないから。
それがどれだけ素敵な人でも「あの時いなかった人」でしかない。
だからもう友人も知人も配偶者も子もいらない。孤独に生きたい。
断っておくが、悲劇の主人公を気取るつもりはない。外ですれ違った人に「こんにちは」と愛想を振りまいてあいさつすることもできる。”無価値な他者”に対してさえ、私は常識人であろうと思っている。
ただ、深いところで、他者を愛することはもはや難しいということだ。
◇
率直に言えば、今の私は、薄情だった連中の不幸さえ願っている。「ざまあみろ」と思いたい。薄情なふるまいをやり返したい。
心が牙をむき出しにしている。
でも、心は泣いてもいる。その涙を止めてやることは、もはや私にさえできない。

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