M-1の審査、点数を細かく刻みすぎじゃない?という話

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今年も漫才の祭典「M-1グランプリ」をテレビで視聴した。

とても面白かった。たくろうのお二人、優勝おめでとうございます。

ただ、ここ数年、首をかしげるのが審査員の点数。93点、94点、95点といった1点刻みの採点が多い。

結果、点数選択の自由度が狭まり、複数のコンビに同じ点をつける審査員もいる。今年でいえば、礼二さんは3組に「94点」をつけ、2組に「96点」をつけていた。それってどうなのだろう。

そもそも95点と96点の差もよくわからない。好みなのか、技術なのか、ネタの構成なのか、持ち時間の使い方なのか。そして、それらの差をたった1点にこめていいのか。

現状は実質10点満点のコンテストになっている。もう少し幅広く点数を使ったらいいのにと思う。

これをいうと、「決勝に来ている時点で、90点を超える実力があるんだ」という反論があるだろう。

しかし、決勝は決勝の基準で採点するのが筋ではないだろうか。

そりゃ、決勝に来た10組は、全11521組の中ではトップレベルの実力がある。ただ、決勝は、決勝10組の相対評価という側面もあると思う。

思い切って「決勝ネタとして普通に面白い」を80点くらいに設定したら、上にも下にも点数を広く使えるのではないか。

実際、過去のM-1はそうだったように思う。

例えば2005年。紳助さんはブラックマヨネーズに95点をつけ、南海キャンディーズには72点をつけた。これこそが勇気をもった審査といえるのではないか。もちろん、南海キャンディーズも全芸人の中ではトップレベルの実力を持った芸人だったが、あくまでも決勝での評価は72点だったということだ。

また、このように点数を広く使ったうえで「同点」であるのなら、甲乙つけがたい拮抗した実力であったことも伝わる。

ここ数年のM-1の審査は、一見すると精密であるように見えるが、実は審査員が批判から逃げているように思う。「みんなすごい」という全肯定には緊張感もない。

思い切って70点をつける審査員も必要だし、頑なに90点台をつけようとしない頑固な審査員がいてもいいかもしれない。

年々、あるいは日増しに質が向上していく日本の漫才。課題は審査側にあるように思える今日この頃である。

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トイプードルと暮らしています。日常の思い出をつづります。

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