名もなき関係性がいいのよ

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親友。いまや大嫌いな言葉になりました。虫唾が走ると言っても過言ではない。

この社会では友情が美化されがちですが、関係性に名前が付くと、とたんに居心地が悪くなることに気が付きました。私はもう友人も知人も仲間もいりません。

私は今後の人生においては、誰とも友達にならず、日常の動線に出てきた人物との交流を大事にしようと思うのです。

日常の動線とは何か。買い物とか散歩とか病院とか、自分が日常生活で行くところです。

誰かに会いに行くのではなくて、自分の目的のために訪ねた場所で出会いがあるのなら、それを大事にしたい。

ポイントは、相手の名前や職業を知らないくらいの距離感を維持することです。

自己開示をせず、自己開示をさせない。決して友人になどならない。

「こんにちは。今日は寒いですね~。では、また」

これでいいのです。

これを「名もなき関係性」と名付けることにします。

名もなき関係性は、実に健康的です。

ケンカになることもないし、失うリスクもない。仮に失ったところで、行く場所行く場所に新しい「名もなき関係性」があふれています。代替が容易です。

そして、名も知らぬ相手との「こんにちは」でも、自分の脳みそは十分すぎるほど幸福感を生産してくれるのだと最近気が付きました。

むしろ、凝り固まった既存の人間関係の中で、似たような会話を繰り返すよりよほど刺激的です。

それでいて、距離が近い友人のように、思い悩むこともないわけです。「ああ、あの時の言い方悪かったかな」「誕生日のお返しを考えないとな」なんて気に病むこともありません。

なんとハッピーなことでありましょう。

名もなき関係性、最高ではありませんか。

洋服屋で近づいてくる店員も、私の日常の動線に現れた者として、快く対応しましょう。

しかし「会員登録を」などと勧められようものなら、心のシャッターを爆閉じして退店です。

私の名前を知ろうなど、大間違いな距離の詰め方であります。

これは言い換えれば、すべての人類と等距離を保つということかもしれません。

思えば、これが世界平和と言えなくもありません。

ワールドワイドに展開させた話を閉じるのも面倒になったので、このまま筆をおきます。

おやすみなさい。

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この記事を書いた人

トイプードルと暮らしています。日常の思い出をつづります。

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