父親が昨年10月に68歳で他界した。早いもので5カ月近くがたとうとしている。
父の火葬を終えて、自宅に戻った日、私は一人でテレビをつけた。テレビを見るような心境ではなかったのに、画面に映し出されたドキュメンタリー番組にあえて見入った。父の「死」に深く向き合えば、どこまでも気持ちが落ちていくとわかっていたから。あえて別のものに心を向けた。
しかし人間とはタフなもので、5カ月もたつと、わりと平気で日々を生きている。
よくも悪くも、父が死んだ直後のような気持ちとは違う。あの時に書いた文章は、今の私にはきっと書けない。そういう意味では、あの時、思いのままに文章を書き綴った判断は悪くなかった。
◇
今回は、父が晩年1人で暮らしていた家の清掃に32万円かかった話である。
父の死後、1週間ほどたってから入った家の惨状に、私は言葉を失い、悲しみは吹き飛んでしまった。
まるでゴミ屋敷。床には焼酎のボトルや弁当のごみが散乱していた。死ぬ直前は体調を崩していたのか、フローリングには下血とみられる跡もあった。庭の草木は荒れ放題で、まるで廃墟のようだった。
半年前まではきれいに整頓されていた私の実家は、父が独居状態となった約半年で見るも無残な状態となってしまった。においもひどかった。
ごみや汚れた家具を搬出し、床をきれいにしてもらうために、業者に頼んだ見積りの額が32万円だったわけである。想像より4倍くらい高かった。なんとなく8万円くらいで受けてくれると予想していたが、それほど甘くはなかった。
断っておくが、あくまでも家の中を元の状態に戻すのにかかった金だ。家を空っぽにしたわけではない。つまり半年間の汚れの除去にかかったお金というわけだ。今後もし家を売るとなれば、撤去しないといけない家具や荷物がまだまだたくさんある。
◇
「男やもめに蛆がわき、女やもめに花が咲く」という言葉があるが、まさにその通りになってしまった。
私は、人は小ぎれいに死ななければいけないと強く思った。
もちろん、私も将来年を取り、体調を崩せば、糞便にまみれた最期を遂げるのかもしれない。
しかし、それでも、秩序を有した暮らしの痕跡を感じられる程度には、丁寧に暮らしておきたいと思った。
衣服を洗って干し、洗濯をたたんでしまい、部屋を掃除し、ごみは回収の日に出す。仮に自分自身が汚く朽ち果てることになったとしても、静謐な部屋に横たわっていたい。
◇
業者は、無感情に部屋のものを袋に詰めて、トラックへと投げ込んでいった。仕事だから当然だ。それでよいのだ。
袋の中にファイルが見えたので、わざわざトラックから引っ張り戻し、そのファイルを開いてみた。
かつて父が携わった仕事の資料と思しき書類が挟まれていた。そっとファイルを閉じて袋に戻し、再びトラックへと投げ込んだ。
生きた証が一つ一つ捨てられていく様に、努めて何も思わないようにした。正面から向き合うと、また心が荒れると思ったから。
父が生きた68年の痕跡はこうしてあっけなく消えてしまった。
◇
私の名前は、父が付けたらしい。
本当はもっと中性的な名前がよくて、あまり気に入っていたわけではないのだが、最近はそれほど嫌でもなくなってきた。響きはともかく、漢字は気に入っている。
私こそが、私の名前こそが彼の生きた証なのだと思いたい。
そう思えば、トラックに投げ込まれて失われていった父の「生きた痕跡」を思い出してしまいそうな時、少しは苦しみを和らげてくれる効果があるような気がしている。
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