「ホタルがいるよ」
ホタルを見つけた父親は嬉々として私を呼びに来た。私が3歳くらいのころの話である。
昔、実家の前の草むらにはホタルがいた。
横に田んぼが広がっていたから、そこで繁殖していたのだろうか。
河川から水を引いた田んぼではなくて、給水栓をひねって水を供給するような田んぼだったのに、よくホタルが生息できたものだと思うが、とにかくかつてはホタルがいたのだ。
儚く浮かぶ弱い光は鮮明に記憶に残っている。追いかけて手で捕まえ、不器用に握りつぶしてしまったような覚えもある。
ホタルの光は、私の幼少期の記憶を確かに彩っているのだ。
しかし、わずかその数年後にはもうホタルはいなくなってしまった。
宅地開発や農薬などに、住む場所を奪われてしまったのだろう。
私はある意味、古里に生息していたホタルを見ることができた最後の世代ということだ。
そんな私は、34歳になった。あれから30年あまりの月日が流れたこの6月、久しぶりにホタルが見てみたくなり、生息地を訪ねた。
古里からは遠く離れた里山。「クマ注意」の看板におびえながら、小川沿いで待っていると、ポっと弱い光が暗闇に浮かんだ。
あまりに弱い光で、目の錯覚にも思えた。眼精疲労がひどいせいか、そういう錯覚は日常茶飯事だ。
しかし、またポと光り、また別のところでも光る。そしてその光はスーッと夜空を舞った。
まぎれもなくホタルであった。
時計が20時を回ったころには、ホタルが周辺一帯を順番に照らし始めた。

スマホやPCの明かりに慣れた私にとって、ホタルの光は記憶以上に弱弱しかった。
でも、人工の明かりにはない、美しさがあった。
かつての日本人は、娯楽が乏しかったかわりに、夏の夜空を見上げてこの景色を見て歓声をあげていたのだろうと思った。
34歳の男は、目を輝かせて、夜空を見上げていた。
「ホタルがいるよ」
嬉々として呼びにきた昔の父親の顔が浮かんだ。
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