タイトルの通り、30年を超える付き合いがあった友人と絶縁した。
この友人を仮に宏之としよう。
宏之とは幼稚園の年少で出会い、34歳まで交流が続いた。
小・中学校は同じ野球部で、会えば当時の思い出話は尽きることがない。
高校からは別だったが付き合いは続き、大学時代も時折互いの家を訪れては飲み明かした。
かけがえのない、唯一無二の友だった。
その宏之と私は縁を切ったのである。
◇
7月に私の母がある日突然亡くなった。最愛の母だ。私はこのブログを書いている今も、悲しみの真っただ中にいる。
母の死後、私は母が住んでいた2LDKの賃貸マンションに引っ越すことにした。母の遺品をゆっくり整理したかったからだ。
ちなみに2LDKといっても、築30年を超える古びたマンションで、賃料は月45000円程度である。母は、父との離婚調停を機にここに住み始めたのだった。
宏之に電話でそのことを伝えると、「引っ越しを手伝う」という。
しかし正直、私は一人暮らしで荷物も少ない。自家用車に段ボールを積めば、5往復くらいで引っ越しは済むので、手伝いはいらなかった。
ただ、ありがたい申し出であるし、何より一人でいるのが辛い時期でもあったのでお願いすることにした。
私がLINEで「大したお礼はできないけど…」と伝えると、宏之からは「ラーメンとチャーハンを奢ってくれればそれでいい👍」と返ってきた。
その時は、粋な返答だと思った。
◇
とはいえ、宏之の言葉に甘えるのもよくないと思い、私は「交通費+3000円」程度を宏之に渡そうと思っていた。
「金なんていらねえよ」「そういわず、少ないがこれは受け取ってくれ」なんて会話を頭の中で想像したりした。
しかし、数日後、宏之から電話があり「引っ越しの日、新幹線で帰りたいから、新幹線代だけもらえるかな」と言う。
私はなぜか心底失望してしまった。
最初からお金を渡すつもりはあったのだが、相手から請求されるとは正直思っていなかった。
「分かった」と答えたが、電話を切った瞬間から、モヤモヤは晴れなかった。
◇
ここで一度、話は2017年にさかのぼる。私は宏之の結婚式に参列していた。
私は当時、平日も土日もない不規則な仕事だったが、親友の結婚式だといって無理を通して休みを取り、それこそ新幹線に乗って結婚式場に駆け付けた。
別に「お車代」をもらったわけでもないが、駅からも距離のある式場まで足を運び、喜んで祝儀を包んだ。
無二の友人だ。出費は惜しくない。
式場で永遠の愛を誓う宏之に、私は心から祝福の拍手を送ったのだった。
友というのは、冠婚葬祭は無償で駆け付けるものだと私は思っていたし、今もそう思っている。
◇
話を再び今に戻す。
「新幹線代もらえるかな」
この言葉が私の頭の中で、何度も何度も再生される。
忘れようと努力はした。
しかし、「こんな時まで対価を要求するのか」と深い失望が心に広がる。
普段なら受け流せるものが、どうしても許せない。
そもそも、私は宏之から香典を受け取ったわけでもなかった。
私が喜んで包んだ祝儀は何だったのだろう。
そもそも「ラーメンとチャーハンでいい」と言っていたはずの男が、直前になって「新幹線代もよこせ」と言う。
思えば、宏之はいつも一度決めたゴールを直前になってズラす悪癖があったことに気づいた。
「聖蹟桜ヶ丘で飲もう」と言われて準備していても、数日前になって場所が新宿に変わる。そういうことが多くて、宏之の発言はどうも一貫性に欠けるところがあった。
許そうと思うのに、怒りは増幅していく。
◇
引っ越し当日、来てくれた宏之にラーメンと半ライスをおごり、“新幹線代”に相当するであろう現金も渡した。
相手の手に渡る現金を見て、モヤモヤは深まるばかり。
その日の夕方、私は意を決して宏之に言った。
「冠婚葬祭って、お互い様じゃないのかな」
こんな時にも対価を求めることが理解できないということを正直に伝えた。
すると宏之は「交通費だけでいいよっていう、俺の美学」などと言う。
私は言葉を失う。
それでも私は努めて冷静に「俺は金が惜しいんじゃなくて、金を渡すつもりはあったんだよ。でも、こんな時でも金を請求されるのかって、正直ショックだったんだ」と返す。
すると、宏之は「金はいつでもいいって言ったじゃん」と言う。
時期の問題ではない。
意識が遠のくような感覚を覚えた。どこまでもかみ合わない。
思えば、この男とまともな話し合いが成立したことはない。
時折会って思い出話をするだけなら口論になることもないのだが、一度何かで揉めようものなら、とにかく話し合いにならない。
幼少期からそうだったと思い出した。高校以降はたまに会うだけだから、悪いところを見ることなく友情ごっこを続けてきただけなのだ。
私は努めて冷静に「恩に着せるつもりはない。でも俺は君の結婚式には喜んで駆け付けて、祝儀を包んだ。交通費よこせなんて言ったりしないだろう?」と言った。
でも結局は分かり合えず、宏之は後日「だったら祝儀を返す」などと言って、現金書留で金を送りつけてきた。
◇
表面的に「友情」「愛情」を謳うことは簡単だと、あらためて痛感する。
人と人とは、状況次第で揉めるのだ。
大事なことは、揉めたときに建設的な話し合いになる相手であるかどうかだ。
どちらが悪いかには言及しないが、私と宏之の口論は、最後までかみ合うことがなかった。
宏之から届いた現金書留。封筒の中には5万円。薄っぺらで安い私たちの30年の評価額のようだった。
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