どこに行っても不良を見なくなった

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私が10代のころは「不良」が多かった。

北関東の田舎町。当時は、髪の襟足を伸ばすのが流行りだった。少年たちはハンドルを極限まで上に向けた自転車にまたがり、伸ばした後ろ髪をなびかせながら、娯楽の少ない町を疾走していた。

高校に進学したはずの卒業生が中学周辺に出没し、得意げにタバコをふかしていたこともあった。着崩したブレザーは、「その高校にしか行けなかった学力」を示す負のレッテルにも思えたが、本人はどこまでも得意げであった。

駅に行くと、トイレには絵にかいたような不良がうんこ座りをし、にらみをきかせていた。うんことションベンにまみれた古い駅舎のトイレを縄張りとしていた理由は分からない。しかし、縄張り内におけるイニシアチブを奪われてはなるまいと、不良は踏ん張っていた。

当時は「ごくせん」など、ヤンキーを題材としたテレビドラマも多かった。ハードワックスで逆立った髪は、まるでサイヤ人のようであった。今になって当時のファッション雑誌などを見ると噴飯ものだが、その時代の若者にとっては一種の憧れであった。

ドラマ内で小池徹平が着けていたカチューシャをまねた中高生も多かろう。

しかし、時は流れ、あれから20年。思えば、不良というのはパタリと見なくなった。

登下校をする中学生に目をやると、きちんと制服やジャージを着用し、頭にはヘルメットまでしっかりとかぶっている。

生産性のない喧嘩やタバコに憧れる意味が分からないという賢い子供が増えたこともあるかもしれないが、私はスマホとSNSの発達が背景にあるとみている。

2010年代には、「おでんツンツン男」が大炎上した。目立つために無茶をする。あれぞまさに不良のマインドであるが、スマホの普及で無茶が映像として記録され、炎上を招く時代へと突入したのである。ひとたび炎上すれば学校への通報も相次ぎ、学校は処分などの対応を迫られることになるわけだ。

2000年代までは、そういう意味ではおおらかな時代だったのだ。タバコを吸おうと、シンナーをやろうと記録化の手段は限られていた。仮に写真や映像に残しても、画質は低く、仲間内で共有する程度のものだった。「無茶」は仲間内の盛り上がりで完結する娯楽だったのだ。

なんとなく許されていたことに、厳格な対応が求められる。2010年代はまさに時代の過渡期であった。

すし店で醤油をなめた高校生も、2000年代までならなんとなく許されていたはずである。

こういう時代にあって、不良を演じるのは極めて大きなリスクである。かくして、不良は激減したのだ。

息苦しい時代を生きる今、かつて不良が生き生きと町を駆け抜けていた時代の空気を懐かしく思う。

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この記事を書いた人

八王子でトイプードルと暮らしています。日常の思い出をつづります。

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