このブログで政治的なことは書かないようにしている。
だからこれからも政策や政局に触れることはしない。
ただ、高市早苗に思うところがある。
この人は自分の言葉の加害性に無自覚な人だと思う。
平たく言い換えるなら、自分の言葉が誰かを傷つけるかもしれないという恐れがない。
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この人は総裁選の直後「ワークライフバランスを捨てます」と言った。
私はリアルタイムでテレビを視聴していたが、「あ、よくないことを言ったな」と思った。
過労死遺族のことが瞬時によぎったからだ。家族を失い、痛みを抱えた人たちがワークライフバランスという言葉を懸命に育ててきたのだ。
それを「捨てる」とは、あまりに軽薄な発言である。
もちろん高市さんやその支持者からすれば、自身の意気込みを述べただけで傷つける意図はないということになるのだろう。
しかし、党の総裁に選ばれ、のちに総理となる人物の発言として軽くはないか。
例えば、晴れた空を見て「いい天気だね」と言うことさえ躊躇するのが、行政府のトップになる者に必要な態度であろう。まさに今、日本のどこかで豪雨が発生しているかもしれないという想像や懸念を巡らせるのもリーダーに求められる資質である。
言葉の加害性は、悪意を必要とはしないのだから。
◇
ここで話は少し脱線するが、11月に配信が始まった「ダウンタウン+」を視聴した。
松本人志とシソンヌ長谷川忍のトークで学歴の話になった。そこで松本が「コンビでどっちもアホなの調べたら、ダウンタウンが相当やばい」と発言した。
これは自身と相方・浜田雅功を卑下した、いわゆる自虐ネタだが、私は「うわっ」と嫌悪感を覚えた。
2人の出身校は調べればすぐに出てくる。特に、松本が卒業した高校は今も同じ校名で存続している。つまり、松本の「自虐」は在校生をも巻き込んでいるのである。
自分を卑下したはずの笑いが、他人を傷つけている。これもまた本人は無自覚なのだろう。
断っておくが、私はアンチダウンタウンではない。むしろ、年末には毎年「笑ってはいけない」を観ていたクチである。
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人は案外にも、人を笑わせようとしたときに、人を傷つける。実に皮肉だ。
「ワークライフバランスを捨てます」という発言も、本人からすると、会場の一笑いを得るためのジョークという側面もあったのではないかと思う。
誰も傷つけず、それでいて芯を食ったユーモアを繰り出すには、天性の才能が必要である。
高市は、不記載問題があった萩生田光一を「傷物」と紹介したとも伝わる。これも笑いを得ようとして、人を傷つけた一例といえるだろう。やはり、高市のユーモアのセンスは絶望的であるようだ。
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高市政権に対する評価は避ける。
しかし、どうも発言の軽さが物議を醸すことの多い総理のようである。
数々の不用意な発言の根底にあるのは「視野の狭さ」であろう。
自分の発言がどこにどう波及するかを読むことができない。
それは今ある地位を考えれば、致命的な資質の欠如であるように思えてならない。
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ここまで書くと、「お前は一体どうなのか」という、私への批判もあろう。
私もこれまでの人生で、大いに加害性を有した言葉を人に放ってきた。
しかし、それは確かな動機があって、意図的に放たれた言葉であった。
例えるなら、誰かから「バカ」と言われた時に「なんだとテメー、ぶっ〇すぞ」と返すような、自らの意志に裏打ちされた反撃的な加害性である。
痛みや苦しみを抱える人を傷つけるような言葉は発していないつもりである……、が自分に甘いだけかもしれない。
(以上、敬称略)


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