疲れ果てた

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心身ともに疲れた。

疲れないわけがない。

わずか9カ月足らずの間に、両親ともに他界したのだから。

それも2人とも突然死。何の心の準備もなかった。

酒におぼれた暮らしをしていた父親はともかく、お母さんがもういないなんて信じられない。

お母さんが急死して、もう約2カ月。

疲れ果てた。

私は、お母さんが暮らしていた賃貸マンションに移り住んだのだが、玄関を開けたらお母さんがいる気がする。台所にお母さんがいる気がする。どこかから声が聞こえてきそうな気がする。

でも、視線をずらせば骨壺がある。墓はないので、今も部屋に置いてあるのだ。

この骨壺が、現実味のない現実に現実味を与えてくる。

こういう空間で私は暮らしている。

気が狂いそうだ。

家にいるとおかしくなりそうで、外に出て散歩したり、食事したりする。

風が気持ちいいとか、ラーメンがおいしいとか、そんなことを思わないでもないが次の瞬間「だから何」という虚無感が覆いつくす。

本当に、だから何なのだろう。

すべてが虚しい。

喜怒哀楽という言葉があるが、喜怒哀楽のすべてが無意味に思える。

「だから何」「それが何」「ああそう」の繰り返し。

虚しいなあ……。

今になって気づいたが、友人も親戚も無力だ。

寄り添ってくれる気もないのだろうけど、そもそも寄り添ってもらったところで、何の救いにもならない。

多くの時間をともに過ごしてきたはずだけど、所詮は他人だったのだと思い知る。

これまで大事だと思っていたものの価値さえ薄らいでいく。

友や身内の情というものは、実に脆く儚いのだった。いや空虚といったほうが正確だろうか。信じていたものには実体がなかった、そんな感覚。

本当に心から愛情を注いでくれるのは親だけなのだと今さらながら身に染みる。

喪失感は増すばかり。

こんな状況でも、様々な手続きに追われる。

ごく簡単な手続きが、たった1本の電話が、とてつもなく重たい作業に思える。

かつての自分なら、5分で終えていたであろう作業にさえ着手できない。

役所に書類を取りに行くことさえ、今の自分にはしんどい。「明日にしよう」「週明けにしよう」とずるずる先延ばしにしている。

まるで自分の体ではないかのように重たい。

先日、空き家と化している実家に寄り、ポストを確認した。NHKから父親宛てに受信料の請求が来ていた。父親はとっくに死んでいるというのに。

深くため息をついた。

煩わしい。

しんどいのに、こういう”小さなめんどくささ”が頻発する。

今の自分には、こういう一つ一つが実に重たい。

タスクは積みあがっていくばかり。

はあ。過呼吸になりそうだ。

銀行にも行かないと。

法務局で相続もしないと。

車関係の手続きでディーラーも行かないと。

やること山積み。でも動けない。

心に積もる焦燥感。

限界は近い。

しかし、こんな弱音も誰にも届かない。

絶望である。

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この記事を書いた人

トイプードルと暮らしています。日常の思い出をつづります。

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