大好きなお母さんが亡くなった(1)

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7月25日に最愛のお母さんが亡くなった。何の前触れもない、あまりに突然の死だった。

58歳。医師の調べでは「脳出血の疑い」とされている。

死亡推定時刻は午前11時だが、朝はベランダに洗濯と梅を干し、10時17分まで自身の姉と普通にLINEをしていた。いつもと変わらない日常を生きていたのだ。

「ごはんを食べる」と言って姉とのLINEのやり取りを終えた母は、みそ汁を作っている最中に倒れ、たった一人でこの世を去った。

周囲はもちろん、本人でさえも、まさかこの日に死ぬことになるとは夢にも思っていなかっただろう。

私は2年半ほど前から、母と毎日LINEをするようにしていた。

私自身の生存を知らせるためだった。もし独身の私の身に何かあったら、飼っている犬まで飢え死にしてしまう。「万が一俺に何かあったら犬をお願い」と言って、毎日の連絡が始まったのだ。

それは同時に、母の安否を確認する手段にもなっていた。

母も私の犬を溺愛していたから、ビデオ通話で犬の姿を見せてあげることも月に1~2度あった。

毎日LINEをし、月に数回ビデオ通話をしているのだから、かなりのマザコンであると自分でも思う。でも、それが親孝行になっている気もしていた。

7月25日は、午前10時30分ちょうどにLINEを送った。いつもならすぐに返信が来るのに、夕方17時半になっても「既読」さえついていないことに気づいた。

LINEを再度送っても反応がなく、電話をかけても出ない。

私は嫌な予感がして、車に飛び乗り、東北道を北上した。

車のアクセルを踏みながら、私は着いたら母を怒鳴りつけてやりたいと思った。

「なんで電話に出ないんだ。どれだけ心配したと思っているんだ」と。

きっとマナーモードにしていたとか、親族の病院に付き添っていたとか、そんな理由でスマホを見ていないに違いないと思った。

「ごーめんごめん。きょう全然スマホ見てなくて」なんて言うに違いない。

過去にも数回そういうことがあったのだ。

東北道を北上しているあいだにも、母から折り返しの電話があるんじゃないかと思っていた。

でも東北道のICやSAを一つ、また一つ越えても折り返しはなかった。

不安は増すばかり。

車内に流れる音楽が煩わしくなり、乱暴にスイッチをオフにした。

母が住んでいるマンションに着いた。駐車場の端に車を滑り込ませ、時計を見ると20時になろうとしていた。

車を降りると、足がおぼつかない。気は急いているのに、まるで夢の中のように足が前へ進まない。私はすっかり気が動転していた。

駐車場に母の車がないことを祈っていたが、いつもの駐車枠に停まっていた。どこかに外出中であってほしかった。

エレベーターで4階に上がる。

たどりついた母の部屋は真っ暗だった。20時に明かりがついていないことなど、本来ありえない。

震える指でキーを差し込み、ドアを引いた。

「ガチャン」

中からチェーンがかかっていた。

私はここに来る道中も、このチェーンがかかっていないことを心から祈っていた。

中からチェーンがかかっているということは、中に母がいることを意味するからだ。

「友人の車でどこかに出かけたのかもしれない」というわずかな可能性も消えた瞬間である。

この時に私は母の死を悟ったのだった。

中にいて生きているなら、部屋が真っ暗であるはずがない。

その場に崩れるようにしゃがみ込み、母のLINEに音声通話をかけると、玄関ドアの隙間から着信音が聞こえた。

スマホがマナーモードということもなかったのだ。

確実に中で倒れている。

私はなぜか119番ではなく110番をし、警察の臨場を待った。きっと私は、この時点で母の生存をあきらめていたのだ。

警察官がチェーンを切断して中に入り、リビングのドアを開けた。玄関の外にいた私からも倒れている母の腕や足が見えた。

すぐに駆け寄りたかったのに、警察は私が部屋の中に入ることを許さなかった。

死に目に会えないどころか、遺体となった母を抱きしめてあげることさえできない。

外で待つこと、2~3時間ほど経過しただろうか。部屋から運び出された母を乗せ、警察車両は警察署へと消えていった。その後、私はようやく親族とともに母の部屋に入ることができたのだった。

ガス台の鍋には、切ったカブだけが残っていた。みそ汁にするつもりだったのは明らかで、鍋の中の水分がすべて蒸発した後に火が自動で停止したようだった。

「カブのみそ汁が飲みたかったのか…」

そんなことにも胸が詰まる。

せめて、このみそ汁だけでも飲ませてあげたかった。

母は倒れる直前、自身の姉とのLINEで、その姉の体調を気遣っていた。

姉のむくんだ足を見て、腎臓や心臓の病気を疑い「病院行こう、悪いこと言わないから」「万が一があったらどーすんだ」と心配していた。

それが午前10時10分すぎのやり取りである。その数十分後に自分が倒れることになろうとは、夢にも思わなかったはずだ。

皮肉にも思えるし、周囲に優しかった母らしい最期にも思える。

しかし、その母の体調を気遣う人はいなかったのかもしれない。

そして、それは私が果たすべき役割だったはずなのだ。

脳出血の疑い。

せめて、一瞬で意識を失い、苦痛なく亡くなったと思いたい。

一方で、「誰か…!」と助けを求めた瞬間があったのかもしれないとも思う。

だとすると「もうダメだ」と命をあきらめた瞬間もあったのだろう。

そう思うと、私は涙が止まらず、同時に自分を責めずにいられないのだ。

なぜ気づいてあげられなかったのだろう。

なぜそばにいてあげられなかったのだろう。

これまでの自分の人生における選択の積み重ねがこの悲劇につながったように思えてならない。

母は、昨年4月に父と別居し、古い賃貸マンションの一室に移った。

離婚調停中だった昨年10月末に父が亡くなり、父には悪いが、母はようやく解放され一人になれたのだ。

「今が一番幸せ。穏やかな日々だ」と言って、一人の暮らしを心から楽しんでいた。最近の趣味は裁縫で、亡くなる2週間前にはミシンを買ったばかりだった。

母が作ったポーチなどは親族や友人にもなかなか好評で、私とも「もう少しうまくなったら、ネットに出品してみようよ、お母さん」なんて話をしていたばかりだった。

お母さんは、大嫌いだった夫と別れ、ようやく自分だけの日常を手に入れて、楽しい未来を夢見ていたところだった。

最近の母は、これまでにないくらい穏やかな表情で暮らしていた。

それなのに、よりによってなぜ今なのだろう。

神様がいるなら、あまりにも意地悪だ。

せめてあと3年でも、1年でもいいから、誰にも邪魔されない自分だけの時間を過ごさせてあげたかった。

(つづく。書きたい気持ちになったら随時、更新します)

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この記事を書いた人

トイプードルと暮らしています。日常の思い出をつづります。

コメント

コメント一覧 (2件)

  • こんばんは。初めまして。Xのほうで投稿を拝見させて頂いている者です。
    小夏ちゃんのことは以前イヌカワさんの投稿がバズった時から知っていました。今回もお盆前に投稿がバズっていて、何となくプロフィールを見に行ったら、イヌカワさんのお母様が亡くなられたことを知りました。
    自分語りで恐縮ですが、私は1989年生まれの36歳で、飼っているトイプードルは2022年7月生まれで小夏ちゃんと同級生です。そして、イヌカワさんと同じで文章を書くのが好きで、少しですがそれでお金を頂いています。更に、私の母も大嫌いな父と離婚していて(20年前ですが)、私たち親子は平日は仕事から帰ってから、休日は一日中電話で話しています。イヌカワさんと沢山共通点があるな、と思って驚きました。
    話は戻りますが、お母様が亡くなったと知ってから、イヌカワさんのXの投稿を追っていました。今回記事にして頂いたことで、詳しく事情が分かりました。ありがとうございます。まだまだお辛いことと思いますが、これからも投稿を拝見しています。
    それだけをお伝えしたくてコメントさせて頂きました。長々と失礼致しました。

  • はじめまして。
    お母様のご冥福をお祈りいたします。
    Xで知りました。
    悲しそうな文章が気になり遡って見させていただきました。

    私ごとですが6年前に母が脳梗塞で倒れ、生命は大丈夫でしたが元気な頃の母には会えません。
    いろいろ重なった後の母の病気でしたので本当に神様がいるなら‥という気持ちになりました。
    それとトイプードルも飼っていたので小夏ちゃんがうちの子と似ていて(オス)私もマザコンなのでイヌカワさんの文章を読んでいると胸が痛いです。

    悲しさを我慢しないでくださいね。
    吐き出してくださいね。
    なにも出来ないかもしれないけど、あなたと小夏ちゃんの日常が温かく守られていきますようにと願っております。

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