「緊急連絡先」がない。
私がある日突然倒れても、私が倒れた事実を伝えるべき先がないということである。
サラリーマンであれば、自分の勤める会社に、いざという場合の「緊急連絡先」を2か所くらい伝えておくことが多いだろう。独身なら親や兄弟、既婚者ならば配偶者と兄弟といったところだろうか。
もし勤務中に事故を遭ったり、急病で倒れたりした場合は、会社はその緊急連絡先に電話を入れるわけである。
◇
繰り返しになるが、私には緊急連絡先がない。
独身、一人っ子。すでに両親まで他界してしまった。
私がある日倒れようと、あるいは死のうと、その事実を急いで知らせるべき先がないのだ。あらためて思いを馳せてみると、とても悲しい事実である。
これを世間では「天涯孤独」というのではなかったか。
そうか、私は天涯孤独だったのだ。不意な気づきにポンと膝を叩いてみるも、虚しいことこの上ない。
◇
今、私の目の前では犬が寝ている。鼻を丸出しにして。
家族同然どころか、まぎれもなく家族なのだが、さすがに犬は緊急連絡先にはなるまい。「はい、もしもしワン」などというわけもなく、ましてや私の入院や葬儀の手続きを担えるわけもない。
やはりいざという場合には、人間の家族がおらねば、心もとない。
34歳。ひざを抱えて、めそめそをしてしまう夜である。
◇
この緊急連絡先問題を解決する手段があるとすれば、結婚である。
しかし、晩婚の時代とはいえ、すでに34歳。
18歳で実家を出て、気ままに暮らしてきた中年のおじさんである。
これまで享受してきた自由を手放すことを決意したとて、今さら恋愛市場における需要もないであろう。
そもそも「私の緊急連絡先になってください」というのは、恋愛・結婚の動機としては不純ではあるまいか。それでいて、何やら差し迫った緊迫感だけを醸し出していて、相手にとっては恐怖に違いない。
◇
今の勤め先には、緊急連絡先として母の電話番号を伝えてあり、母が亡くなった後も更新できていない。
更新しようにも誰もいないのだから、仕方がない。
そもそも、私のことを大切に思う人がいればこそ、その連絡に「緊急性」が帯びるわけだから、緊急連絡先を確保しようとするのはなんだか本末転倒の感がある。
このような屁理屈で生産性のない納得感を勝ち得た私は、いま白ワインの瓶を開けたところである。


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