日本人は「反省」と「将来」が好きな人種である。
>反省しなさい
とか
>将来のことを考えなさい
なんて言葉は、学校の先生が放つ説教の定番である。
しかし、反省も将来の展望も無用である。いや、それどころか有害である。
変えられぬ過去を振り返る「反省」に生産性はない。これは自己嫌悪を促進する悪しき習慣である。
様々なファクターによって形成された結果を、一個人の責任と解釈するのは不健全である。
また、将来とはすなわち未来における結果であり、それは当然に予見不可能なファクターによる影響も受けながら形成されてゆくものである。
将来を考えることが無意味とまでは言わないが、大きな意味はない。むしろ、勝手にたてた未来像や予定との乖離に苦しむといったデメリットの方が大きいのだ。
ならば、我々にできる生き方は何か。与えられた「今」に、自分を適応させていくことである。
人はこれを臨機応変といったのだった。
現代の日本人は、過ぎた日々を反省し、安泰な将来を夢見て予定を立てているようだからダメなのだ。それでは、大学受験や就職活動に失敗しただけで「予定」が狂い、果てなき「反省」が始まり、やがて絶望へと追いやられるのである。
トイレに駆け込み踏ん張ったのに屁しかでなかった時、人はいちいち反省するのか?しないはずだ。将来のうんこの予定を立てる人も見たことがない。
それなのに、受験や仕事などは、自分の努力で結果を左右できると考える。実に不合理である。
いちいち自分に責任を求めるのはやめよう。反省は不要。将来の予定も不要である。
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