34歳。若くはない。年配者からは「まだまだ若い」と言われるが、肉体のピークはとっくに過ぎている。
たまに運転中に、通学途中の中高生を見かけることがある。彼らはまるで重力などないかのように、軽やかに歩いていく。右足が浮いているうちに左足が歩を進めているのではないかと錯覚させられる。あれを「軽快」というのだなと最近気づいた。
風になびく髪はツヤツヤで、まるで「新品」だ。若いってすごい。
それに比べて、私の体は年々丸みを帯び、皮膚は重力にたるみ、一歩一歩が実に重たく見苦しい。フーッと吐き出したため息は、疲労と厭世がまじった気だるさを含み、自分と周囲を不快にさせる。
しんどさに顔をしかめながら昼間をやり過ごす。それでいて、夜は遅くまで起きている。とっとと布団に寝転がり、しばしの睡眠で気だるさを忘れればいいのに、もはや夜更かしは習慣だ。充実していない昼間を取り返したいと、私の本能が睡眠への移行を拒むのである。
「……」。言葉をかわす相手もいないまま、焼酎の水割りが入った細いグラスを見つめる。グビッと一口飲む。またグラスを見つめる。子どものころ、グラスに入ったサイダーは、夏の太陽を反射してキラキラ輝いていた。今、目の前の焼酎は、台所の蛍光灯に照らされ、にぶい光を放つばかり。
体が老いるばかりでなく、心も次第に年を取るということか。自分を取り巻く世界が急速に輝きを、色彩を失っていく。
老いた人間の役割は次世代を育てることなのだろう。そして、その役割を終えた人間は、順番にこの世を去っていくような気がする。独身の私にはその役割はないから、役割を終えた人間と同じ扱いにしてはもらえないものか。
しょげた34歳。みすぼらしいことこの上ない生き様である。
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