ずっと“他人”でいましょうよ

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最近、私は街の公園に出没している。

芝生の広場があるだけの小さな公園には、犬連れの人たちが集い、私も毎日その輪に解けこんでいる。

とっても居心地がいい。

毎日顔を合わせるのに、名前も職業も住所も知らない人たち。

親しい他人というのはとっても心地よい関係性だ。

思えば、これまでの人生、所属先を求めるような生き方をしてきた。

平たくいえば、わかりやすい「つながり」を求めて生きてきた。

「私は鈴木と申します」といったような自己開示を伴うつながり。

今となると、実に息苦しい。

人間関係は「その場限り」であればこそ楽しいのだ。

会いたくなったら「その場」に行けばよいのである。

私は今日も何者でもなく、公園にいた。

鈴木でも田中でも山田でもない。

「アハハハハハ」

愛想よく笑い、時に冗談を言う。

それでも私は名乗らず、相手の名前を知ろうともしない。

もし私が今日死ねば、誰も私の死を知り得ない。

友達でも恋人でも家族でもない。そのことの豊かさを思う今日この頃。

すれ違う人に「こんにちは」と言う時、他人だからこそありがたいと感じる。

ずっとずっと他人でいましょう。

名前も知らず、期待も寄せず、ここで会う時だけ笑い合う。

他人ってとっても美しい。

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この記事を書いた人

トイプードルと暮らしています。日常の思い出をつづります。

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