23歳の時、それなりに名の通った地方の新聞社に入った。
仕事のできない新人なのに給料は額面で30万円ほどあり、半年に一度のボーナスも50万円くらいはあった。地方では十分「高給」といえる水準だ。
しかし、私はこの給料30万円に実感が持てなかった。私のどういう働きが30万円につながったのか、まったく説明がつかないのである。
例えば、私が屋台でたこ焼きを500円で売り、100個売ったとしたら売り上げは5万円だ。この5万円には実感が持てるはずなのである。だって自分で商品を作って、自分で客を呼び込んで、自分で売ったわけだから。
しかし私が会社員としてもらった給料には、そういう実感が伴わなかった。
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結局のところ、業界を問わず、会社というのは規模が大きいほど「分業制」になる。製造から販売まで一人が担うことはほぼないだろう。
私は新聞記者として、記事を書く仕事をしていた。
逆に、新聞を販売する部門や、新聞広告を取ってくる部門には全く関与していなかった。
だから悪い言い方をすると「お金を稼ぐ」ということを意識せず、ただ記事を書いていればいい部門にいたということである。
つまり、自分の書いた記事を誰が読み、どれだけ売り上げに寄与しているのかが分からない。そもそも紙媒体の場合、自分の記事がどれくらい読まれたかを数値化することもできない。
自分の担当している仕事と「30万円」を結ぶ道筋が見えないのである。自分の書いた記事がなくても、売り上げは全く変わらないのではないかとさえ思える。
現に、20本しか記事を書いていない月も40本記事を書いた月も給料は30万円だった。
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とはいえ、当時から「実感がわかないお金」と思っていたわけではなかった。
その実感のなさにさえ無自覚で、それでいて満たされないような違和感だけを抱えていた。
少々話がそれるが、最近、文章などを有料配信できる「note」というサービスで、小説を公開している。
少しでも読まれるようにタイトルを練り、複数の小説をお得な値段でまとめ売りし、売れた作品の分析をしている。
ちょっとずつフォロワーが増えて、月に計1万円ほど売れるようになってきた。
これぞまさに実感の伴うお金であると感じる。そこで初めて、過去にぼんやり抱いていた給料というものへの違和感を言語化するに至ったのである。
◇
会社員は、自分の持ち場で働いていれば給料をもらえる。
それが会社員としての旨味でもあるのだろうし、その生き方が向いている人はそれでいい。
しかし、もらうお金の実感のなさに、無自覚なまま満たされない思いを抱いている人もいるんじゃないかと思う。
自分で作ったものを自分で売り、自分で税金の処理をし、そしてまた必要な機材をそろえて次のものを作って売る。そういった上流から下流までを一人でやることもきっと楽しい。
大企業信仰の強いこの国で、本当に合った生き方は何か、模索する日々である。
おわり


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