死者は語らない

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死んだ者は何も語らない。

当然である。

ふと頭に浮かんだ疑問も、ぶつけようがない。

あの時のやり取りの意味を尋ねようにも、もういない。発しかけた言葉は、言葉にならないまま宙を漂う。

宙を漂った言葉は、今を生きる者の耳には届かないかわりに、はるか向こうのあの世には届くだろうか。

そんなことを夢想しないでもないが、自分の発想に酔っているだけにも思えて興が醒める。

ハイボールを一口。

そういえば、私の死んだ父は、常人の10倍は酒を飲む男だった。4リットルのウイスキーのボトルが1週間でなくなるほどだった。

酒を飲んで暴れるようなことはなく、よく言えば酒だけが趣味の男で、おとなしく一人で飲んでいた。

ただ、肝臓の健康状態を示す「γ-GTP」は300とか400を超えていたらしい。

成人男性の基準値は50U/l以下だから、極めて深刻な数字である。

父はそれまで飲んでいたウイスキーをやめて、アルコール9%のストロングゼロを飲んでいた。

常人には理解しがたい代替品であり、まさに彼が68歳で死んだ理由でもある。彼は終生、酒だけはやめることも、減らすこともできなかった。

酒量をとがめると、必ず「長生きしてもしょうがない」と言った。

私は決まって「長生きしろとは言ってない。寝たきりにでもなったらどうするんだ」と言った。

父はある意味で有言実行、わずか68歳で死んだ。長生きもせず、寝たきりになることもなく、突然に。

今となってはそんなやりとりさえ懐かしい。

ハイボールを一口。

「ウイスキーって結構うまいんだな」。

発しかけた言葉を、ハイボールで飲み込んだ。

ふーっと吐いた。

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この記事を書いた人

トイプードルと暮らしています。日常の思い出をつづります。

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