本心ではない言葉が頭に浮かんでしまうことがある。
例えば目の前に病気で苦しんでいる人がいたとして、私は心からその人の回復を祈っているのに、「今ここで『ざまあみろ』と思ったらどうなる?」などと考えてしまう。
私は、こういう場面で「ざまあみろ」と思うような冷酷な人間でありたくないと強く思っているのに、そう思えば思うほど、どういうわけか頭の中が「ざまあみろ」という言葉で占められてしまう。
本心ではない言葉が脳内に浮かび、そのことに罪悪感を覚え、長らく苛まれる。
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半年ほど前だったと思うが、銀行口座の残高を見ながら、ふと「5年後、残高が500万円くらい増えていたらいいな」などと考えた。
その瞬間、私の脳裏に「誰かの命と引き換えに」などという不適切なフレーズが浮かんでしまった。
私は、人の命と引き換えに金を得るようなことを望むような人間ではないのに、なぜか決して思いたくないワードが頭に浮かんでしまう。
私はあわてて「誰かの命と引き換えに、などと思うはずがない」と打ち消し、浮かんだフレーズを必死で否定するのだが、あっという間に罪悪感の芽が巨木となり心に根付いてしまう。
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生成AI「Gemini」に相談したところ、こういうのを「侵入思考」というらしい。
例えば「高齢者を殴る」「幼い子や動物をいじめる」といった、自分が望まない非自発的な思考であるらしい。
本来の自分は、そのような人間ではないのに、なぜか望んでいない思考やイメージが脳内に広がってしまう。
これは多くの人が経験することのようで、必ずしも精神的な問題につながるわけではないが、私にとってはQOLが著しく低下する大問題なのである。
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この侵入思考は、私が守り抜きたいモラルや良識、思いやりを簡単に侵してくる。「侵入思考」とは、言い得て妙なネーミングであるが、感心する気にもならない。
いつか、スヤスヤと眠る愛犬を見て、自分の意に反した暴力的フレーズが浮かぶようなこともあろうと思う。そして私はまた苛まれるのである。
「ここでこう思いたくない」と思えば思うほど、そのことで頭がいっぱいになるという皮肉。
そして「今の思考は違うんです、本心じゃないんです」と、誰にともなく、心の中で弁解を続ける。
実に気が狂いそうな日々である。


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