「自然が好き」というと、理屈っぽい人から「自然とは何か。どう定義するのか」などと突っ込まれる恐れがある。
これは非常に難しい問題だ。
山も川も海でさえも、人の手が入っていることが多い。港に立って海を見ても、視界の端にホテルや民家が入り込むし、そもそも足元はコンクリートだ。果たしてそれは「自然」なのか、という指摘はもっともである。
いかにして、この「自然が好き」という感情を表現するのが、より適切であろうか。
◇
私は冬の空を見上げながら、一人物思いにふけった。
そしてたどり着いたのが「人工的に作られた物質の少ない風景が好き」という言い回しである。
例えば、目の前に草原が広がっているとしよう。仮にその草原が人の手によって管理されているとしても、「人工的に作られた物質」は少ないから、私の表現に問題は生じないのだ。
そこに人為的に植えられた1本の松の木があったとしても、それは人工的に作られてはいないから、これもまた問題にならない。
我々は、人工的に作られた物質の少ない風景を便宜的に「自然」と呼称しているのだ。
◇
では、人工的に作られた物質とは何か。
プラスチックやビニール、コンクリートなどが代表例としてあがるだろう。
ガラスは天然にも存在するが、窓ガラスのような均質的なガラスは「人工的に作られた」といえるだろう。
新宿・歌舞伎町などは、これらの塊である。
だから、我々は歌舞伎町を訪れて自然を感じることはほぼない。
しかし、そこから約3キロ南にある代々木公園に行くと、我々はほのかに自然を感じる。
それは、公園自体は人の手で作られたものであっても、そこで目にする風景は「人工的に作られた物質が少ない」からである。
ややこしいが、人工的に作られた場所であっても、人工的に作られた物質が多いとは限らないのだ。
◇
誰かに頼まれたわけでもないのに、私は「自然」を定義付けることに成功した。
私はいつもこうして架空の敵と戦っている。
おわり

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