私の通っていた中学校では、年に1度、合唱コンクールと呼ばれる行事があった。
1年から3年までの全生徒が参加し、クラス単位で合唱の練習を重ね、地元の文化会館の大ホールで披露する。
ピアノと指揮者もクラスから出し、本番までに何百回も合わせるのだ。
それはそれは先生たちの熱量も高く、運動会や文化祭を上回るビッグイベントだった。
ちょっとした空き時間さえも活用し、音楽室を奪い合って各クラスが猛練習に励むのだった。
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私は中1の時は「あの素晴らしい愛をもう一度」を、中2の時は「この地球のどこかで」を、中3の時は「聞こえる」を歌ったと記憶している。
当時は、頑張ることが気恥ずかしいお年頃で、みんな口々に「ダリー」などと言っていた。
でも私も含め、口ではだるいと言いながら、猛練習の毎日を楽しんでいた。
男も女も運動部も文化部も関係ない”全員参加の部活動”のようだった。
男子パートを歌いながら、女子パートが耳に入ってくるのが心地よかった。
私は毎日「ああ、本番の日が来なければいいのに」と思った。
本番が終われば、このクラスで合唱することは未来永劫絶対にないであろうことが分かっていたからだ。
中学生だった私は子どもながらに、青春の刹那性が無性に悲しかった。
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本番を迎える前、学校の体育館のステージで各クラスが練習の成果を披露しあった。
言うなれば、中間報告のようなもの。
慣れ親しんだいつもの体育館なのに、ステージに立つとなんだか誇らしい。
主人公になったような気持ち。目には見えないスポットライトを勝手に浴び、胸を張って歌う。
そして教室に戻る途中、みんなで「5組すごかったな」「3組もやばいね」「先輩たちはもっとすごそうだよね」などと言って、さらに我々も研鑽に励むのだ。
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本番当日は、みんなで歩いて学校から1キロほど離れた文化会館まで向かう。なんだか遠足みたいで楽しい。
文化会館に着くと、普段は入れない裏手の通路を歩いていく。すると「楽屋」と書かれた部屋にたどり着く。「楽屋だってさ」。まるで芸能人みたいで、これも楽しい。
ああ、楽しい。なんでも楽しい。
「よし、ここで本番前ラスト、もう一回合わせるよ」といって、楽屋で最後の練習をした。
最後の練習。なんだか切ない。
本番を直前に控え、我々は「ウゥン」などと咳払いをし、まるでプロ気取りで喉のコンディションを整える。
キヒヒ。なんだかみんな目を合わせて照れ笑い。
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本番のステージは、大きかった。
田舎町の文化会館とはいえ、1階席と2階席を合わせ1500席もある大ホールだ。
ステージだけが照らされ、ピアノが光沢を放っていた。
そして我々の番が来て、ステージに立った。
「ピアノが鳴り始めたら、本当に最後なんだな」と寂しくなった。
何百回も練習してきたのに、ここで歌ったら、もう生涯歌うことはないのだろう。
だから、一生懸命に歌った。
耳に届く女子パートが心地よかった。
きっとあの日、ステージから見た風景は、私の人生でも指折りの美しさだった。
◇
結果は「大地讃頌」を歌ったほかのクラスの優勝だったと記憶している。
私たちはまた文化会館から学校まで歩く。
最後の合唱が終わってしまった寂しさを胸の奥にしまい込み、友達とじゃんけんしながら歩いた。
34歳になった今、すごく久しぶりに「この地球のどこかで」をYouTubeで聴いてみた。
歩いて行く道はきっと違うけれど、同じ空見上げているからこの地球のどこかで
20年の時を経て胸に染みる歌詞。
もう二度と集うことのない、かつてのクラスメイトたちの顔を想う。
どこかで同じ空を見ていることでしょう。
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