以前、ブラック企業で働いていた時代のことをブログで書いた。(リンクはこちら)
「殺す」「辞めろ」と罵られ、土日に呼び出されても代休はなく、朝家を出て帰宅が23時を過ぎることもざらだった。
最悪の労働環境だった。
だからいい思い出など一つもないのだが、肉体的に特に辛かったとある一日のことを書こうと思う。
2015年10月22日のことだった。その日は朝から体調が悪かった。私は風邪をひくときは必ず喉から。その日はひどく喉が炎症していた。
私は中学も高校も欠席ゼロで簡単に休むような人間ではないのだが、その日はちょっと厳しいと思った。喉がはれて食事も満足に取れない。熱が出てくるのも時間の問題だと思った。寝ていてもつらいような体調だった。
でも休めなかった。普段でも休みたいなどと言える環境ではなかったが、その日は夜から重要な仕事を振られていた。延期することもできず、人員に余裕のない職場だったので代わってくれる人もいなかった。
そんな日に限って昼間も突発的な事案が発生して、あわただしかった。処理しても処理しても次から次へと仕事が降ってくる。上司からの問い合わせ電話もひっきりなし。
PCの画面とにらめっこしながら、電話対応で喉を酷使した。じんわりと上がる自分の体温を感じていた。
夜の仕事が一段落ついたタイミングでようやく「すみません、ちょっと体調が悪くて先に帰らせてください…」と切り出し、会社を出た。その時点で22時を回っていた。
自宅マンションの真横に大きな病院があり、その日は夜間当番医となっていた。これは幸いだった。
これから向かうと電話で伝えた後、私はよろよろとその病院に駆け込んだ。渡された体温計をわきに挟むと、39.1度だった。私の平熱は35度台。39度台は小学校時代にインフルエンザにかかって以来だった。
今にして思えば、これだけの熱で働いていたのに、誰一人気づいてさえくれなかった職場はおかしいのだ。明らかに様子がおかしかったはずなのに。
あるいは気づいていても寄り添う気などなかったのかもしれない。
当時24歳の私に、誰か一人くらい声をかけてくれても、罰は当たらんだろうにと今となって余計に強く思う。
私が体温計を手渡すと、女性の看護師さんが「この熱で仕事してたんですか!?」と言った。その言葉でなぜか涙がボロボロ出た。
「この熱で…」。それが普通の反応だ。
でも職場では誰一人寄り添ってくれない。
「お仕事つらかったでしょう」。看護師さんはそんな言葉もかけてくれたような気がする。高熱のせいで記憶は断片的なのだけど。
心に毛布をかけられたような気持ちになった。
インフルエンザだったら出勤停止になると思い期待したがインフルではなかった。
でも上司に電話をかけ「インフルかもしれない」と言って翌日休む許可を得た。
一晩寝た後も体調は相変わらずで、街の内科を訪れた。
診察の後、奥の部屋に通された。フカフカのベッドに私を寝かせ、点滴をしてくれた。
ベッドの周囲には本棚があり、良い意味で病院らしからぬつくりだった。まるで親戚の家に寝かされているような安心感のある場所だった。
医師もスタッフもみんな優しかった。今でも感謝している。
つらい境遇にある時こそ、ほんの小さな思いやりが心の奥にまでしみるものだと思う。
点滴を終えた後、私はまたよろよろと自宅に戻り、ファミレスのデリバリーでうどんを頼んだ。
喉の痛みをこらえ、うどんをすすり、薬を飲んだ。男の一人暮らし。いつものワンルームは、いつも以上に無機質で灰色だった。薄い布団に身を包んで、無理やり眠りに落ちた。
そして次の日、まだ体調はあまり改善していなかったが、重い体を起こし出勤した。
マスク姿でせき込む私。
それを見た20以上も上の先輩社員が「風邪ひくのは仕方ないとして、さっさと治せよ。いつまでもひいてても仕方ないだろ」と吐き捨てた。
言っておくが「早く治せよ」は優しさを含んだ物言いではない。「とっとと治せよてめえ」といったニュアンスである。
目が点だった。
好きで風邪をひきつづけているとでも思っているのだろうか。満足に休息も取らせてくれないくせに。
しかし、夜間病院の看護師さんや街の内科のお医者さんの優しさに触れた後だと、なぜだかその先輩社員のふるまいは滑稽に思えた。
まるで絵に描いたようなクズだなと思った。どこまでも失望させてくれるのだから、ある意味ではありがたい。
思わず「ハッ」と蔑む笑いが出た。
せき込むふりをしてごまかした。
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