私にとって数少ない「人生の岐路」

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人生の岐路みたいなものがあまりない。

たとえば、就職活動でA社とB社から内定を得た人の場合は、どっちに行くかで揺れると思う。それこそ人生を変える大きな岐路である。

しかし私の場合は、一社から内定を得るのにとても苦労した。好む好まざるにかかわらず、受かった会社に行くほかないという状況だった。

思えば、初めて入った会社を辞めて転職活動をした時もそうだった。市役所の最終面接は落ち、中小企業の内定が一つだけ出たから、その会社に入った。

つまり、目の前にスーッと1本現れた道を否応なくトコトコ歩いてきたような人生を送ってきた。

そんな私のこれまでの人生の中で、「二つに一つ」を選ぶ人生の岐路が唯一あったとすれば、18歳の終わり。大学受験を終えた2月だった。

第一志望群にことごとく落ちた私のもとには、二つの合格通知が届いていた。隠す必要もないので書くと、明治大と立教大である。

今にして思えば、それなりに意味を持つ人生の岐路なのだが、ものすごくテキトーに決めてしまった。

明治にした。

厳密にいうと、第一志望群の残り一つの合否を見たあとでも入学手続きが間に合うのが明治だったという事情もあるにはあるのだが、それはそれほど大きな問題ではなかった。

ソファに寝ころび、鼻をほじりながら決めたのが明治への進学だった。

それに立教の「チャペル」だの「礼拝」だのといった校風は自分には合わないだろうとも思った。入学試験の時も、開始時と終了時には独特なチャイムが流れていたし。

しかし、そうして選んだ明治という大学は、どうも私にとっては居心地のいい環境ではなかった。大学側に何の落ち度もないのだけどね。

1、2年時は和泉キャンパスというところに通う。

渋谷・新宿・吉祥寺、いずれも電車で10分という抜群の立地。

入学前、地元の友人には「渋谷も新宿も10分くらい」とさらっと自慢した。さらっと「渋谷まで10分」と言えちゃう自分がかっこいいと思ったから。

きっと渋谷のバーとかで、洒落たカクテルを飲んだりするようになるに違いない。かなり美化された自分が「なんちゃらミュール」などと言ってカクテルを注文する姿を妄想した。

しかし入学後、一番最初の集まりで、教室に入ると何やらすでに集団が出来上がっていた。

「内部進学の人たちなのかな」。私は勝手に思い込み、みるみる萎縮した。大学生活の初日だというのに。

なんとなく周囲に話しかける勇気もなく、しょんぼりとした顔でトボトボ帰宅した。初日だというのに。

打ち解けるのに失敗したまま、ぬるっと4月が終わった。

なんだか居場所が見つけられず、学食に行くことさえハードルが高くなってしまった。

もう大学には来たくないし、来たとしても早く帰りたい。そんな場所になってしまった。

そうは言いつつも、最初は朝のギュウギュウの京王線に揺られて一生懸命、1限の授業にも通っていたのだ。

朝7時くらいに起きて、慣れない手つきで朝ごはんを自分で準備して、駅まで歩いて電車に飛び乗った。

ちなみに私が住んでたマンションの調理設備は、↓こういう全体がジィィィィっと熱くなるタイプのやつでキモかった。

大学に行っても行ってもなじめる気配はなく、どんどん嫌になった。

それに、おしゃれな都会の学生さんは革靴やら古着やらを着こなしているけど、田舎者の私には何が正解なのかもよく分からない。

よくわからないのに、どこかで聞いた「レイヤード」という言葉を使ってみたこともあった。キモかった。

昔、TBSの「とんび」というドラマで、都会の大学に進学した主人公がみんなの真似をして革靴を買って履いて行ったら、もうほかのみんなは誰も履いていなかったというシーンがあった。短いシーンだったが、あの描写は秀逸だった。まさにあんな気持ちだった。

流行を真似するころには終わっている。

バーで「なんちゃらコンティ」を注文していたはずの自分はどこへやら。

大学のキャンパスにいることさえ苦痛になった。

第二外国語のフランス語の授業で「ジュヌパ・スィ・パ」とか言っている瞬間にも、何か笑われているような気がしてきた。

大学に行くのはやめた。中退はしないところが中途半端で実に私らしいのだが。

そして次第に寝るのは朝の4時になり、昼の2時半くらいに起きるようになった。

以前も書いたけど、GPAと呼ばれる大学の成績は1年終了時で0.85。たぶん学年でも最下位だったと思う。

そして、日がな一日、テレビを見ていた。虚しかった。虚しくて泣いた。

そうなると、人間は勝手なもので、「立教に行っていたら違った大学生活があったのでは」などと責任転嫁的な妄想を始めてしまう。

隣の芝生は青いのだと分かってはいても、きらきら輝く大学生活を夢想してしまった。

立教に入っていれば、素敵な友人たちと太陽が降り注ぐ中で芝生に腰かけ、手にはコーヒーを持ちながら談笑し、夜の居酒屋では校歌を合唱し、恋に落ちる同級生を冷やかしながらも祝福していたに違いない。

そんなバカげた妄想は今なお続いている。

しかし思う。

本当に道を誤ったのは「明治か立教か」を選んだあの瞬間ではなく、「内部進学の人なのかな」と萎縮して帰ったあの日ではなかったかと。

そう思うと、日々さまざまな岐路に立たされているような気もするから不思議だ。

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この記事を書いた人

八王子でトイプードルと暮らしています。日常の思い出をつづります。

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