人生の「成功例」に追いつめられる人々

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世間には、人生の「成功例」みたいなものがある。モデルケースと言い換えてもいい。

有名な大学を出て、一流企業で定年まで働いて、晩年は悠々自適、みたいな価値観。

外国ではどうか知らないけど、少なくとも日本ではそういう刷り込みは強い。

だから、大学で学びたいことがあるわけでもないのに、浪人してまで旧帝や早慶を目指したりもする。

就職活動では有名企業を受けまくり、思うようにいかなければ、あえて大学を留年して就活を続ける者までいる。

人生の成功例みたいなものから脱線するまいと、みんな必死である。

ちなみに僕は今年32歳である。

ストレートに大学を出たと仮定すると、社会人10年目の世代にあたる。

周囲を見れば、10年たっても人生のモデルケースから外れず自信に満ちた顔で闊歩している者もいれば、早々にドロップアウトして諦観の境地に達している者もいる。

心配なのは前者である。

社会人として10年、一人の人間として30年以上、一度として「転落」を経験していない人間は脆い。

サラリーマンのキャリアは半分以上、運である。上司にも、配属にも、景気にも左右される。

しかし、うまくいっている時は気づけない。自分に限ってヘマなど犯すはずがないと油断し、これまでの実績は自分の実力だと過信する。

しかし、実のところ、サラリーマン人生とは意外なところで足をとられ暗転する。自分だけの落ち度ではない事案で、責任を取らされたり。ある日突然、不正確な事実関係でパワハラの加害者に認定されて、明らかな左遷人事の憂き目に遭ったり。上の実力者に理由もなく嫌われることもある。

そういう時の「遠心力」はすごい。

残酷なほどに、人はサーーーと引いていく。

適当なたとえではないかもしれないが、学生時代のいじめと同じである。

何やら、ある日突然クラスから冷ややかな目を向けられる子がいた。何かをされたわけでもないのに、クラス全体がその子と距離を置き始める。それに似ている。

そうして社内で居心地が悪くなり、長い逡巡の末に辞める決断をする人も少なくない。

人生のモデルケースみたいなものを夢想したところで、所詮は避けようのない外的要因によって好転も暗転もするものである。

中高年が自らの人生を閉じてしまう時、そうしたモデルケースとの乖離が生じたことが要因であることは多いのではないかと思う。

外的要因で人生の「成功」「失敗」が決まるのであれば、ものさしを変えたほうが良い。

今の時代に求められていることは、モデルケースを追い求めることではないような気がしている。

実際には、大企業を辞めてフリーターになったとしても、別に食ってはいけるのである。

かく言う僕も会社員を辞めて、今はフリーターみたいな生活をしている。

目の前のもやしを見た時、「このもやしを、いかにしてうまく食うか」と考えることが大事である。

幸せの基準を、もやしよりに上に引き上げるからダメなのです。

「頑張って、いいものを食えるようになろう」などと、ゆめゆめお考えにならぬように。

おわり

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この記事を書いた人

八王子でトイプードルと暮らしています。日常の思い出をつづります。

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