僕は、北関東のド田舎にある公立高校に通っていた。公立なのに男子校で、むさ苦しいことこの上なかった。
しかも自宅から15キロの道のりを自転車で通っていた。一応バスはあったが、バス停のある駅まで4キロも離れていたし、本数も少なくてかえって不便だった。
15キロの道のりは田んぼや畑ばかりで、ファミレスの一つさえなかった。田園風景は嫌いではないのだが、年頃の高校生にとって何の刺激も見いだせない通学路だったことは確かだ。
しかも自称進学校で、模試だのテストだのの日々だった。
今あらためて考えても進学する理由が見いだせないほど最悪な高校である。
一番先に選択肢から除くべき高校とさえ言える。
そんな高校に僕は3年間通った。
高2の時、僕の前の席に座っていたのがAという男である。
彼は3人兄弟の長男で、社交性があり、すぐ仲良くなった。ちなみに僕は基本的に弟や妹がいるような人としか仲良くなれない。昔からそうだ。一人っ子だから、多分お兄ちゃん気質の人と合うのだ。
僕は消しゴムのカスを丸めて、彼の頭に投げつけるのが日課だった。それでも彼は「おいいい!」とか言って笑う寛容なやつだった。反応が面白くて、消すものもないのに、消しゴムをこすった。
そして、彼は長野の大学に行き、僕は東京の大学に行った。
時折、Facebookで彼の近況を見ることはあったが、高校卒業後に会ったのは、切ないものでたった2回きりだった。
しかも、そのうち1回は、成人式の日の夜に立ち寄った地元のカラオケ店のロビーで偶然会っただけ。それほど会話を交わすこともなく別れた。
彼は大学を卒業した後、地元の県庁所在地にある会社に就職した。不動産屋だか建設業だか忘れたけど、完全週休2日制でなかったことだけは確かだ。つまるところ、クソブラック企業で働いていた。
そんな彼に久しぶりに連絡を取ったのは2021年の後半くらいだった気がする。特に用事はなく、ふと思い立って連絡をした。
彼はクソブラック企業を辞めていた。
なんと西表島にいた。無論、あの沖縄県の離島たる西表島。イリオモテヤマネコで知られる西表島である。
期間限定で、さとうきび刈りの仕事をしているという。
なんという変わった男であろうか。30歳を迎えようというまさにその年、彼は2000キロも離れた縁もゆかりもない西表島でさとうきびを刈っていたのである。
しかし、これは良い口実ができた。なかなか一人旅で西表島に行く機会はない。
何より、僕は僕で会社を辞めていた。無性に彼に会いたくなった。
ということで、2022年5月に彼の元に飛んだ。
正確にいうと、石垣島に飛んで、そこからフェリーに乗った。アクセスは良好とはいえない。
フェリーから西表島に降り立つと、久しぶりなのに彼の姿がすぐに分かった。日に焼けて、筋肉隆々で、ヒゲを生やしたジジイになっていた。風貌が変わっていたのに、すぐわかったことが不思議でもあった。
再会と同時に彼の濡れた肩を小突いた。
空は曇天。雨がぽつりぽつりと落ちてきていた。
「お前、こっち梅雨じゃねえかよ」。僕はもう一発彼を小突いた。
沖縄は5月には梅雨を迎えているのだ。
再会したその日、僕らは曇天の中、男2人でシーカヤックを漕いだ。
1時間くらい漕ぐと、「木炭浜」に着いた。
その名の通り、浜には木炭が転がっていた。不思議な場所だった。
貝殻を拾うと、どの貝殻にも中にヤドカリがいて、ああやっぱりここは沖縄なんだなと、曇天の下で感動した。
再び海へと漕ぎだすものの、シーカヤックは優雅な見た目に反して、次第に腰が痛くなる苦行の乗り物である。
途中で止めようにも、海の上。案外に地獄である。
水面下で水かきをする鴨のごとく、優雅な顔をして腰痛に耐え続けた。
しかし段々めんどくさくなり、僕は漕ぐのをやめた。それでも彼は一生懸命漕いでいた。
シーカヤックというものは性格や人間性が出るものなのだな、と他人事のように思った。
そして、曇天の下でシーカヤックを漕ぐ男2人は、まるであのむさ苦しい高校生活そのもののようだった。
僕は問うた。「なあ、もう一回、中学3年に戻れたらあの高校行く?」
彼は「うーん、行かない」と答えた。
僕は言った。「だよなあ」と。
正社員の立場を捨てた30の男2人が、今さら15年前の選択を嘆く姿は滑稽である。
そうしてシーカヤックが浅瀬に着いた時、突然ジャバババババと激しい音を立てて、僕らのそばをウツボが通り抜けていった。
僕は驚いて「ウオオオ」といった。魚だけにね。
その日の夜は、彼が借りている家に泊まった。あちこちに穴があいたようなボロ家で、部屋中に巨大な蚊がいた。そこにどさっと鎮座する彼の姿はたくましかったが、僕は石垣島で事前に買っておいた虫よけスプレーを噴射した。
翌日、梅雨のはずである西表島には青空が広がっていた。
「晴れてよかったね」と言うか「昨日晴れろよ」と言うか迷った。
僕らは釣りをした。
釣り場に向かう途中にも、沖縄っぽい魚がいた。
なかなかの釣果だったが、釣り上げた魚を食べる時間はなく、僕は石垣島行きのフェリーに乗った。
フェリーが出港すると、彼はフェリーと並走するようにして、ずっと手を振っていた。
見えなくなるまで手を振ってくれていた。
僕も彼に手を振った。
フェリーは向きを変え、窓から彼の姿は消えた。
加速するフェリーの中で、自分に問うた。
「もう一回、中学3年に戻れたらあの高校行く?」
ふと窓に目をやると、見えた空は青かった。
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