「思い出し怒り」という現象の話

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小学生のころ、ホタルちゃんという名前の下級生がいました。ある日の掃除の時間、周りの男子がその子の名前をバカにしてたんです。「ホタルって虫じゃん」とか言って。

僕はそれに加わることもなく、かといって庇うわけでもなく、ただただ掃除をしていました。我関せず、です。しかし、あとになって教師に呼び出しを受けて、なぜか僕もその子をバカにした一味として扱われたんですよ。

いや、同じ掃除の班だっただけですよ。ものすごいとばっちり。確かにその子を守ろうともしなかったけど、怒られる筋合いもない。とんだ濡れ衣です。

「言ってない」「俺は近くにいただけ」と何十回も否定したのに、その教師は図書室という密室に僕を個別で呼び出して、何回も何回も問い詰めてくるんです。で、最終的に言ってないのに言ったことにされたの。「あとでみんなに確認して、実はお前も言ってたらぶん殴るぞ」と脅されてね。小学生なんか、もうそこまで言われたら自分の主張を押し通せないよね。

しかも渋々認めたら、図書室の床に思いきり体ごと叩きつけられました。

もうね、今でも許せない。冤罪。自白の強要です。井野という名前の教師でしたが、今でも年に1度くらいは鮮明に思い出して、激しい怒りを覚えます。あってはならない、もう免職レベルの蛮行ですよ、あいつ。20年以上前のことですから、もう今では定年を迎えるくらいの年齢にはなっているのでしょう。もう退職金も返納しろって感じですよ、まったく。

ほかにも、井野には散々な目にあわされました。「室内で野球帽をかぶっていた」という理由だけで30分も怒鳴られたりね。しかも登校直後ですよ。教室で部活の野球帽をかぶっていただけ。え、どっかに落ち度あります?今でも理不尽な思いしかないです。井野には。

ちなみに井野はまれにみる肥満体形。サンダルをパアンパアンと響かせて歩くのが特徴で、1階を歩いていても2階まで足音が聞こえるような、きわめて非常識な人間でした。お前が人を叱るなってくらいのね。

それにしても厄介な感情です「思い出し怒り」。怒りだけ鮮明なのに、対象物がもはや目の前にはいないわけで、なんなら再会することさえないだろうという距離感。もうやり返しようがないわけですよね。会いに行ったところで、向こうは覚えてもいないでしょう。

しかも、生きていると、そういう思い出し怒りにつながる経験が増えてきます。社会人になったばかりのころに味わった理不尽とかも、フッと思い出しちゃいますよね。あのやろーってね。

しかし、思い出し怒りって、いわば復讐心ですよね。自分の心の中をマイナスのエネルギーで埋め尽くしてしまうこともわかってはいるのです。イライラもするし。あの時言い返せばよかったみたいな感情って、まあ何も生まないですよね。生産性ゼロ。

だから、最近は「人生は、やったことが返ってくる」と思うようにしています。人をはめればはめられる。裏切れば裏切られる。といったように。

だから、多分、いつか井野も濡れ衣を着せられることになるはずです。あるいは違った形で、何か嫌な思いをするのかもしれません。人に与えた負の感情と、自分に返ってくる負の感情の収支は一致するはずなのです。

悪人に、僕が自ら手をくだすまでもない。僕は優雅に紅茶でも飲みながら過ごしていれば、彼は勝手に報いを受けるはずです。そんな風に考えたいと思います。

思い出し怒りに苦しむ皆さん。相手が自分に与えた負の感情、巡り巡って相手に返っていくから大丈夫。

なんなら、自分の中にある負の感情を手放せたとき、その負の感情が相手へとかえっていくのかもしれません。

いいことを言いました。名言。

おやすみグッナイ。

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この記事を書いた人

八王子でトイプードルと暮らしています。日常の思い出をつづります。

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