自分のグラスの面倒は自分でみたほうがいいと思う

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前にも書いたけれど、23歳の時に入ったブラック企業は、やたらと飲み会が多かった。

つまらないことで怒鳴り声をあげるような人間ばかりで、仕事上の思いやりはかけらもないのに、「酒を飲みかわして築く絆」みたいなものはやたらと美化する連中だった。

部署の長老たちは上座に陣取り、「から揚げ!」だの「焼酎、ボトルで!」だの、何やら偉そうに若手に指示を出す。

彼らのグラスの空き具合を見て、若手社員はボトルと水を手に駆け寄り、新たな焼酎を提供する。まるでサービス業である。「体育会系」をはき違えたような陰湿な連中は、上司のために若手がせっせと動く醜い上下関係を好んだ。

そこまでやってもらっておきながら、「焼酎はお湯を先に入れるんだ」「なんでから揚げ1皿しか頼んでないんだバカ。足りるわけないだろ」だのと文句ばかり垂れる。ろくでもない連中だった。

なにより、周囲が楽しんでいないことは明白なのに、そういう飲み会を頻繁に開く厚かましさ。私は今33歳なのだが、この年でも若い人を飲みに誘うことには抵抗がある。若い人には若い人なりに予定や人間関係があって、本来おっさんがその時間を奪うことなど許されないのだ。えらそうにふんぞり返った50のおっさんと酒を飲んで楽しい若者がいるはずもなかろう。

年を重ねれば重ねるほど、上座でふんぞり返っていた連中を思い出し、あらためて怒りに震える。

部署での飲み会が終わると、少人数での2次会にも連れ出された。そこで聞かされるのは「俺が新人のころは朝まで飲んでそのまま出勤した」というつまらない武勇伝。相槌を打ちながら時計を見ると午前3時を回っていた。

そして「おい、〇〇さんのグラス空いてるぞ。新しいの注げ」などと耳打ちしてくる老害。もう帰りたいのに、なぜさらに飲ませないといけないのか。「エッエッエッエッ」という気持ちの悪い笑い声が耳に障った。

明け方、彼らは会社のタクシーチケットを不正利用して自宅へと帰っていった。どこまでも醜い人間だと、今になってなお思う。

今、私も少しずつ年を重ねて、年下の人間も増えてきた。そして思うのは、せめて自分のグラスは自分で面倒を見たほうがいいということだ。「俺は飲み物は自分で頼むから、気をつかわないで」と言える年長者の方がスマートだと思う。皿も同じ。自分が食べる分は自分で取ればいいし、若者に取り分けさせる必要はない。

若者に対して威張る人間は、「先輩がえらい」という会社の風土に、ある意味自分を上手に組み込んでいった人間なのだと思う。でも私は「若手が気をつかう飲み会なんておかしい」と思った。会社の「常識」に自分を溶かしていけなかった。

同じだけの会費を払い、来たくもないのに来た若手を働かせるなんて絶対おかしい。当時も今も思う。

23歳の時の私に伝えたい。10年たった今の私は大した人間にはなれなかったけど、若者に酒を作らせてふんぞり返るような人間にはなっていないよ、と。

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この記事を書いた人

八王子でトイプードルと暮らしています。日常の思い出をつづります。

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