社内評価を得るために他人を貶めるやつ

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今年も春を迎え、多くの青年たちが社会へと巣立ちました。

そして私は初めて社会に出てから、約10年がたちました。(当時のエピソードはこちら

あっという間に歳をとり、ある意味で節目となる年を迎えたわけであります。

そこで今回は、この10年で出会った中で3本の指に入るほど嫌いな男の話をします。川島(仮名)という男。最悪な野郎でございました。

私が社会人になった時、川島は入社10年目の35歳でした。

彼は一言でいえば、自分を大きく見せようとするタイプの人間でした。

有能と思われたい。高い評価を得たい。そういう権力志向の強い政治家のような男だったのです。

実際、川島は上司から実に高く評価されていました。

しかし、その手法は陰湿でした。

周囲の人間を貶すことで、自分の評価を相対的に高めていたのです。

私が入社したころ、川島は比較的彼と年齢が近かった村岡さん(仮名)の悪口ばかりを上司に吹き込んでいました。

「村岡の作った書類には事実誤認がある」などと吹き込んでいましたが、今にして思えば村岡さんの書類に大きな瑕疵はなかったのです。

しかし難癖のような文句を日々上司に刷り込み、村岡さんの評価を落としていったのです。

問題のない書類に手を入れ「尻ぬぐい」まで演じる始末。

川島は仕事自体はそつなくこなすタイプであったから、なんとなくもっともらしい光景に見えてしまうのです。

そして上司も川島の言うことに無批判に同調し、村岡さんを激しく怒鳴りつけました。

「川島は頑張っているが、村岡は全然だめだ」。そんな社内世論さえ形成されていきました。

ひどい男です。

自分の評価を高める、あるいは社内でより安全な立ち位置を得るために、他人を蹴落とす人間がこの社会には確実にいるのだと知りました。

そして川島の次なる標的になったのは私でした。

川島は私に「無能な新人」というレッテルを貼り、彼自身は「後輩に恵まれないなか、頑張っている」という役柄を演じていました。

私が分からないことを聞いても「そんなお膳立てしねえ」などといって、仕事のやり方さえ教えてくれなかったくせに。

しかも職場は小さな支社のような場所で、ほかに頼れる人もおらず、私は疲弊していきました。

川島が私の悪口を吹き込み、上司は激しく怒鳴り私に詰め寄る。

この上司というのは前も紹介したとおり、とんでもないパワハラ大魔王でありました。何度「殺す」「辞めろ」と言われたことか。

つまり、川島とパワハラ大魔王の二重苦。

当時の私は1年目で仕事の蓄積もノウハウもないから、追いつめられるばかりでした。そういう意味では、村岡さんよりもはるかにつらい立場に置かれたわけです。

毎日、出勤しても何をしていいか分からない。何かやればやったで、新たな攻撃の材料にされるだけでした。

私は次第に精神的に追い込まれ、退職することになりました。

退職間際、人事異動でパワハラ大魔王である上司が異動になり、新しい上司がやってきました。

この新しい上司は南さん(仮名)という人でした。南さんが来た時点で私は退職が決まっていたので、1カ月だけ一緒に仕事をしました。

南さんは飲みにつれて行ってくれました。

南さんが「イヌカワくん(私)の仕事は悪くないよ。むしろ1年目なら、全然いい方!」と言ってくれた時、私は大人とは思えないほどワンワン泣いてしまいました。

川島もそれまでの上司も私を認める言葉など一つもかけてはくれなかったのに。

南さんは同業他社への再就職を私に薦めてもくれました。

最後の最後、退職間際に優しい人に巡り合うことができたというわけです。

そして南さんは「はっきり言おうか。最後だから、はっきり言うよ。川島の仕事は全然ダメだよ」とも言いました。「あんなやつ気にするな」って言ってくれようとしたのだと思います。

10年近くたった今でも川島やパワハラ大魔王への恨みは消えません。

だけど、あの日々を思い出すとき、南さんの優しさが同居してくれていることだけが救いです。

社会に出た若者たちは、川島のようにはなっていってほしくないと思います。

そして、南さんのような小さな優しさが誰かの心にずっと残り続けるということも、ぜひ覚えていてほしいです。

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この記事を書いた人

八王子でトイプードルと暮らしています。日常の思い出をつづります。

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