音信不通の親友

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高校の時の親友で、Kという男がいた。

3年間同じクラス。笑いのツボが同じで、きっと人生で一番多くの「笑い」を共有した。

私が腹を抱えて笑っている時、横目で見ると、彼も腹を抱えていた。何度も何度も、涙が出るほど笑い転げた。

きっと、彼を超える友人と巡り合うことはない。

高校卒業後も時折会った。

彼は仙台の大学に行ったのだけど、彼の失恋をなぐさめるために東京から仙台まで鈍行で向かったこともあった。

「仙台っ子」っていう店で、一緒にラーメンをすすった。

お互い田舎に帰省したときには、高校の近くでカラオケをした。彼が歌う村下孝蔵の「踊り子」はうまかった。

バーミヤンで、高校3年間の席順をすべて思い出すという遊びを2人で黙々とやったこともあった。店員にペンまで借りて、紙ナプキンに席順を書き込んでいった。

何をしてても楽しくて、気のおけない友人だった。

それなのに、もう7年近くも会っていない。最後に会ったのが2017年。

最初の2、3年は「たまたまタイミングが合わないだけ」と思った。けど、4年が過ぎ、5年が過ぎ、ついに7年が過ぎようとしている。

そして気づけば連絡さえつかなくなった。

時折、フェイスブックのメッセージでやり取りをしていた時期もあったけど、それさえ途絶えた。

彼の携帯に電話をかけても「音声通話が未契約」といったメッセージが流れてつながらなかった。

経済的に厳しいのかなと思った。だけどそれを尋ねる機会もない。

共通の友人に尋ねても、「連絡先を知らない」というばかり。

彼がかつての人間関係を意図的に丸ごと絶ったのか。あるいは私だけを避けているのか。忙しいだけなのか。

それは分からないけど、1点だけ気がかりなことがある。

6年ほど前、Kの母親から電話をもらった。「Kと連絡がつかない」と。

それを受けて、私がKに連絡をすると、無事につながった。

だから、Kは無事だったと、Kの母親に伝えた。

親子関係が悪化しているようだった。

その後、Kの母親からは「Kのことはもうあきらめた」と意味深なショートメールが届いた。

それが影響しているのかいないのか、前述のとおり、Kと私との関係も疎遠になっていった。

Kが生きていればそれでいい。そうも思うのだけど、ふと気になって、ついさっき調べてしまった。

Googleの検索窓に彼の名前を打ち込んだ。

出てきたページにため息をついてしまった。

「神様」「澄み切った空間」「真の幸福」

そんな文字が並ぶ団体の関連サイトに、彼の名前と写真があった。

どう見ても、関わっちゃいけない団体だと思ったが、彼はその団体に所属しているようだった。

親子関係が悪化したのも、これが一因なのだろうか。

それとも私の考えすぎか。偏見か。実は健全な団体なのかもしれない。

精一杯の「中立性」をこしらえて、サイトをもう一度開いた。

「開運」「龍の神様」「しあわせ」

目を覆った。

表向きは株式会社とあるのだが、やっぱり書いてあることすべてが胡散臭い。

距離を置くべき団体だと思う。

今ではそれを伝える術さえないのだけど。

もし、このブログをKが見たらなんて言うだろう。

気色ばんで怒るような気がした。

昔のKなら俺が何を言ったって笑って許してくれただろうに。

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この記事を書いた人

八王子でトイプードルと暮らしています。日常の思い出をつづります。

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