「自然が好き」という表現

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「自然が好き」というと、理屈っぽい人から「自然とは何か。どう定義するのか」などと突っ込まれる恐れがある。

これは非常に難しい問題だ。

山も川も海でさえも、人の手が入っていることが多い。港に立って海を見ても、視界の端にホテルや民家が入り込むし、そもそも足元はコンクリートだ。果たしてそれは「自然」なのか、という指摘はもっともである。

いかにして、この「自然が好き」という感情を表現するのが、より適切であろうか。

私は冬の空を見上げながら、一人物思いにふけった。

そしてたどり着いたのが「人工的に作られた物質の少ない風景が好き」という言い回しである。

例えば、目の前に草原が広がっているとしよう。仮にその草原が人の手によって管理されているとしても、「人工的に作られた物質」は少ないから、私の表現に問題は生じないのだ。

そこに人為的に植えられた1本の松の木があったとしても、それは人工的に作られてはいないから、これもまた問題にならない。

我々は、人工的に作られた物質の少ない風景を便宜的に「自然」と呼称しているのだ。

では、人工的に作られた物質とは何か。

プラスチックやビニール、コンクリートなどが代表例としてあがるだろう。

ガラスは天然にも存在するが、窓ガラスのような均質的なガラスは「人工的に作られた」といえるだろう。

新宿・歌舞伎町などは、これらの塊である。

だから、我々は歌舞伎町を訪れて自然を感じることはほぼない。

しかし、そこから約3キロ南にある代々木公園に行くと、我々はほのかに自然を感じる。

それは、公園自体は人の手で作られたものであっても、そこで目にする風景は「人工的に作られた物質が少ない」からである。

ややこしいが、人工的に作られた場所であっても、人工的に作られた物質が多いとは限らないのだ。

誰かに頼まれたわけでもないのに、私は「自然」を定義付けることに成功した。

私はいつもこうして架空の敵と戦っている。

おわり

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この記事を書いた人

トイプードルと暮らしています。日常の思い出をつづります。

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