霧降高原に行ってきた。
時期を狙ったわけではないのだが、ニッコウキスゲがちょうど見ごろを迎えていた。

鮮やかな黄色の花びらが標高1500メートルの斜面を彩る。
この花の寿命は、たったの一日。朝に開いたら、夜にはしぼんでしまうという。
だから今日見た花は、明日には見られない。
一日花の儚さである。

この日は、霧が濃かった。
でも情緒がある。快晴じゃなくてよかったとさえ思った。
ヒマワリには太陽、アジサイには雨が似合うように、キスゲには霧が似合うのかもしれない。
この霧が穏やかな風に流されて、ふわりふわりと漂う。
スーッと深呼吸をすると、肺が霧で満たされるような気がする。それは不快ではなくて、涼し気で気持ちがよかった。

1445段の階段を登る。100段先すら見えないほどの霧だが、これが美しいと思った。
先を見通すこともできないし、振り返っても眼下に絶景が広がることもない。
見通せる範囲の風景を楽しみながら、一歩ずつ進むほかない。まるで人生訓のようである。

犬はそんなことは考えていない。
一歩一歩を味わうこともなく、てけてけと駆けていく。
そして1445段を登り終えて辿りついた展望台。

何も見えなかった。
目指した場所に辿り着いたのに、達成感がない。これもまた人生のようである。
やはり楽しむべきは常に「道中」であるのだろう。
仕方なく、再び来た階段を下っていると、一瞬だけ霧が切れて視界が開けた。

幻想的である。
「霧降」の名は、この地の滝の水しぶきが霧のようであったことに由来すると伝わる。
しかし、私はこの地を包む霧の美しさから名付けられたような気がしてならない。
おわり


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