夏になるとセミが鳴く。
「ファイヤーって鳴くセミいるよな」
私は友人に問いかけるが、誰も共感してくれない。
ファイヤー!ファイヤー!ファイヤー!ファイヤー!と鳴くセミがいるではないか。
共感を求める私に、誰一人首を縦に振ってくれない。
首をかしげる者までいる始末。実に腹立たしい。
言葉は通じるのに意味が伝わらないもどかしさ。地団太を踏まざるをえない。
では、私がこれまで耳にしてきたファイヤーは何だというのか。
一通り地面をならし終え、腕組みをして熟考する私である。
こういう場合、思考の遠回りをすることが肝要だ。いったんセミから離れよう。
河川敷の草むらに響き渡るキジの鳴き声を思い浮かべる。
一般的にケーンケーンと表現されるあの鳴き声、私には「キ!ケ!」と聞こえる。
しかし、日本人の多くはあれを「ケーンケーン」であると言う。
はっきり言って、感性が死んでいるのではないか。
どう聞いても、あれは「キ!ケ!」である。
そもそも繁殖期を迎えて縄張り争いをするキジが「ケ~ン」などと呑気な鳴き声をあげるわけがなかろう。
「キ!ケ!」こそが切羽詰まったキジから発せられる鳴き声にふさわしい。
あの切実な「キ!ケ!」をケーンケーンと聞き取ってしまうようなめでたい耳を持った連中には、セミが発する「ファイヤー」を拾うこともできないのである。
ファイヤーと聞き取ることができる、それはまさに高尚な感性を有している証といっていいだろう。
まさにセミが命を燃やして発する「ファイヤー」。豊かな感性を持つものだけが聞き取れる高級な娯楽というわけだ。
しかし仕事を辞めてその日暮らしをしている今の私には、夕闇をカナカナカナと物悲しく彩るヒグラシがお似合いであるような気もする。
おわり


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