明日6月9日、35歳になる。
35歳といえば、クレヨンしんちゃんの野原ひろしと同い年だ。
ひろしはすごい。
秋田県から上京し、もう15年も同じ会社に勤めているらしい。30代前半で係長に昇進したというから、社内評価もまずまずといったところだろう。
春日部の戸建てで妻と子ども2人と暮らし、庭には犬。玄関横の駐車場には、車も1台とまっている。堅実なひろしのことだ。燃費のいい国産車を選んだにちがいない。
晩酌のビールを日々楽しみにしながら、時おり草津や岐阜に家族旅行をしている。安月給と言われながらも、小さな幸せを拾って人生を彩っている。とても素敵な生き方だ。
ひろしは、私が持っていないものをたくさん持っている。
35歳になってみて気づくが、積み上げたものの差が顕著に出てくる年齢である。
「勤続年数15年」も「5歳の息子」も「家族旅行の幸せ」も、ある日突然には手に入らない。
つまり、流れ去った過去の時間においてしか、育むことのできなかった蓄積である。
そして、その蓄積は社会的信用でもある。
勤続15年であればこそ、組めるローンもあるのだろう。
私は何を積み上げただろう。
何もない。空虚な35年である。
都合のいいリセットボタンがあるはずもなく、蓄積のない日々を生きねばならない。
時の流れは残酷だが、時の流れだけが救いでもある。
安いチューハイをあおり、息を吐く。
どこまでも深いため息。厭世の感は年々強まり、もはや私のほぼすべてを支配しているといっていい。
誕生日という節目に希望を乗せることにさえ、もう飽きて久しい。
私の35歳はいったいどこまで沈んでいくのだろう。
ブクブクブクブク。
ああ、疲れたなあ。

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