他人の人生訓を勝手に再解釈した話

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高校時代の先生が言っていました。

「ゴルフボールを打つ時、打つ角度がたった1度違うだけで、全然違う場所に落ちていく」と。

人生も同じだ、と。

妙に印象に残りました。

30代になった今まで、心の倉庫みたいな場所に保管してきた言葉なのです。

その時、先生が言いたかったのは「小さな努力や工夫が大きく結果を変えることがある」みたいな人生訓のようなものだったと思うのです。

でも僕は今その言葉を、「人生なんて小さな偶然に左右されるもの」と勝手に解釈しています。

人生とは、素人がやるゴルフみたいなものなんじゃないでしょうか。

人生で起きることは、打ったボールの飛び先程度のもの。そう思えば、嫌なことがあっても、落ち込むのがアホらしくなります。

たまたまボールが右や左に飛んだだけのことです。

真剣な表情で空振りしたりするのも人生。笑えます。

ところで先日、友人が転職しました。3歳のころからの親友です。

彼は、パワハラ上司と再び同じ職場になったことがきっかけで、転職活動を始めました。

上司に恵まれなかったせいで辞めざるを得ない。まさに理不尽な状況でした。

大学卒業から約10年も働いてきたというのに。

不運な人事異動のめぐり合わせです。

「社内にはいい同僚もいるし辞めたくはなかったんだけどさ」と彼が悲しそうに話していたことが印象深いです。

でも彼は今、「もっと早く転職すればよかった」と話しています。

新しい会社では無理な納期もない!怒鳴り声も聞こえてこない!サービス残業もない!と弾んだ声で報告してくれました。

転職にあたって彼の努力があったことは否定しませんが、でもやっぱりこれは「偶然」の産物だと思うのです。

パワハラ上司との再会という不幸な偶然が、よい会社への転職へと自らを導いたのです。

これを昔の人は「人間万事塞翁が馬」と言ったのだと思います。

結局、人生は何がどう転ぶかわかりません。

それなのに、なぜか世の中には「成功者のありがたい言葉」みたいなものばかり溢れかえっていて息苦しいったらありゃしません。

人生なんて偶然好転したり、偶然暗転したりするものです。

こんなことを書いている今、僕のそばではトイプードルの小夏が寝ています。

思えば、この犬との出会いも偶然です。

昨年の初夏、偶然に見つけたこの犬をどうしても諦められずに飼い始めたのです。

そしてこの犬を連れて山や海、公園に行くとき、不思議な気持ちになるのです。

もし一人でいたら来ることのなかったであろう場所で、会うことのなかったであろう人と会って話している。偶然が紡ぎだした一期一会です。

金銭に置き換えることのできない経験を、小夏が与えてくれているわけです。

こんなのは狙ってできるものではないんです。

完全に偶然。YO!

だから、計画立てて人生を生きる必要なんてなくて、出たとこ勝負でいいんじゃないでしょうか。

臨機応変。

あとは野となれ山となれ。

海のものとも山のものともつかぬ。

ゆらゆら流れるように生きてるだけでも、何かは起きるはずなのです。

その偶然に身を投じて、事の推移を他人事のようにながめる。

これが僕の人生観。

勝手な再解釈。

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この記事を書いた人

八王子でトイプードルと暮らしています。日常の思い出をつづります。

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